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世界最強の夢日記(2022/4/1~7)

 

僕が最強ということでよろしいだろうか。

 

というのも、たぶん夢日記の「強さ」を競っている団体は存在しないので、現時点で僕が一番強いということになる。面白さを競っている団体はあるかもしれないので、「面白い」とは言わないことにする。どんなことでもブルーオーシャンを見つけることが大事だ。

 

寝起きのぐちゃぐちゃの文章の体裁を整えるのに思いのほか時間がかかった。

ほぼ1年ぶりにつけたということもあって、タイトルなんかも後付けしてみる。

 

4/1 地球温暖化との戦い

 

地球温暖化と戦った。どうやら地球温暖化というのは特定の個人らしく、地球温暖化を倒せば地球温暖化がいなくなるのでオッケーということらしかった。夢の中の僕はどちらかと言えば正義の心を強く持っているタイプだったので、どちらかといえば悪らしい地球温暖化と決闘をすることになった。地球温暖化ビームを回避して、車ではねたら地球温暖化は死んでしまった。嫌な予感がした。果たして地球の温暖化作用が全て死んだので、地球は冷え始めた。地球が冷えるとみんなが死んでしまうので、僕は非難されることになった。僕はヒロイズムに酔ったテロリストだったのだ。地球温暖化を殺すのではなく、地球温暖化をなだめることが必要だった。僕は泣いた。

 

ちなみに、地球史においては、現在の地球は氷河時代(Ice age)である。厳密には氷期氷期の間、つまり間氷期に相当する。過去にはもっと温暖な時代もあった(恐竜などが生きていてわりと嬉しい時代だ)ので、温度が上がったって別に地球が滅びるというわけではない。地球温暖化の脅威とは、平均気温が上がることではなく、平均気温の上昇の「傾き」の方なのだ。上昇スピードの問題である。今日美容室で髪を切ってきて、次の日の朝に急にハゲたらかなり困るだろう。できれば80歳くらいまで時間をかけてゆっくりとハゲていきたい。

 

4/2 宇宙(そら)に残されたひと

 

なんやかんやあって、宇宙空間に放り出されることになった。なんやかんやの部分は本当に覚えていないので仕方ない。ただ、放り出される前に、僕を放り出す連中が半笑いだったのを覚えている。なんでこんなひどいことをするのに半笑いなんだろう、と僕は怒りを覚えた。せめて悪役らしく高笑いすべきだと思った。だが、そんな小さな怒りは徐々に巨大な不安に塗りつぶされていった。不安はすぐに絶望に代わった。僕は息絶える瞬間まで、たったひとりで暗黒の宇宙空間を漂うのだ。なんてことだ。これが僕の人生の最後とは。——しかし、僕には喫緊の課題があった。ウンコがしたかった。困ったことに。宇宙服を着ていたので、ウンコをすると当然宇宙服の中がウンコの匂いでいっぱいになる。人生最期の匂いがウンコなのは嫌だ。死ぬことがわかりきっているのに、ウンコのことで頭がいっぱいになった。こんなに惨めな最期はない。

 

皆さんの想像通り、目が覚めた僕は真っ先にパンツの中を確認した。断言しておくが、そこにはシルクのような肌触りの自慢のプリケツしかなかった。僕は「宇宙ウンコの恐怖」に勝ったのだ。僕は安堵のため息をついた。宇宙で死を待つ身だったのに、心配事がウンコのこととは。人間というものは、つくづく度し難い。

 

4/3 無し

 

夢を見なかった。あるいは、見たが忘れた、と言うのが正しい姿勢かもしれない。

 

今更だが、生物の脳というものは「夢で見たことの情報」を優先して忘れるという機能がうまいことできているらしい。そういうものがあるということは、基本的に夢というものは忘れたほうが生存に有利だということだろう。そういうことがわかっているので、夢日記をつける行為というのはあまりよくないのかもしれない。

しかし、たとえそれが生存のための認知機能などに何かしらの不利益を与えるものだとしても、年に1度や2度は夢日記をつけるということがあってもいいかもしれない。

 

一度きりの人生だし。

 

4/4 こういう疎外感が一番いや

 

たまには一人で居酒屋に行くのも悪くないか、と思い立ち、近所のパチンコ屋ぐらい大きい居酒屋に足を運んだ(そんな店は実在しない)。僕は「ビールが個室じゃないと嫌がるから」と言って、個室に案内してもらった。どうも隣の個室がうるさい。トイレに行くときに、隣の個室をちょいとのぞいてみた。すると隣の個室はコートダジュールの一番でかい部屋ぐらいのサイズ感があり、僕の地元の友達や昔の恋人などが集まって、みなでどんちゃん騒ぎをしていた。そのうちの一人、杉本というやつが僕に気づいた。杉本は小学生のころの一番の親友だったが、中学でだんだん疎遠になったやつだ。杉本は僕と再会を喜んだが、決して「お前もこっちに来いよ」とは言わなかった。「来るな」とかじゃなくて、「『来いよ』と言わない」感じが一番傷つく。そういうことを僕は思い出した。やがて注文した泥水が運ばれてきたので、僕は一気に飲み干した。甘かった。甘い飲み物は好きじゃないのに。最悪だ。僕はすすり泣いた。

 

4/5 でかい犬と子犬の大群 part 200

 

200回くらい見ている夢なのだが、ぼくはでかい犬と子犬の大群にめちゃくちゃにされた。「たすけて~~~~」と言いながらにやにやしていた。子犬のうちの一頭がオナラをした。臭かった。ほかに何も面白いことはなかった。でかい犬と子犬の大群以上に必要なものが、この世界にあるかね。

 

オナラとかウンコとか、いくつになっても好きだな、僕は。

 

4/6 水道管の悪夢 part 100

 

たぶん100回くらい見ている悪夢のうちのひとつなのだが、人ひとりがちょうど入れてしまうような太さの謎の水道管(水道管なのか?)の奥の方にあるネジか何かの具合が悪いというので、素潜りして中まで入っていかないといけないという夢だ。(もうひとつの悪夢は、母親に落とし穴に落とされて、そのまま誰も助けに来ないという夢なのだが、これは大人になったことで見なくなった。両親に対する恐怖や畏怖が薄れ、愛情だとか庇護欲だとかの方が上に来たからかもしれない。)で、人ひとりがちょうど入れる太さなので、つまりは中で方向転換をすることができない。U字に曲がった管を進んでいって、ちょうどU字の底、極点を通過するくらいのところで「あれ、これ戻れないじゃん」と気づく。そうしたら、もう終わりだ。息を止めていられる時間はそう長くない。僕は溺れて、宇宙空間と同じことになる。

 

とはいえ、今回はウンコを我慢するということはなかった。安心してほしい。

 

4/7 天使と逢う夢

 

天使と逢う類いの夢を良く見ている。僕の夢に登場する天使は、エンジェルリングもなければ翼も生えていない。僕の夢では、俳優の温水洋一が天使だったり、小学校の担任の先生が天使だったりする。で、僕はそういう天使の姿を見ると、「なんか、逆に『本物はそう』なんだろうな」と思ったりする。何の逆かはわからない。その日の天使は良く行くコンビニの店員の「ぱうろ」さんだった(店員の名札なのでひらがなで書かれているのだが、僕はそのひらがなで書かれた洋名というあやふやな感じがすごく好きなのだ)。天使「ぱうろ」は、僕に向かっていきなりキレた。それも、「汝、悔い改めよ」てな感じではなくて、「クラァァァ!!こんのクソガキァ!!」という感じだった。天使にそんな風にキレられてはこちらも体裁が悪いというか、仕事にも差し支える感じがあるということになっていたので、なんとか穏便に済まそうと思い、その時ぐうぜん持っていたクラフトボスを手渡した。「そういうことちゃうやろ!!!!」と怒られた。天使「ぱうろ」は関西人だった。僕は情けなくなって泣いた。

 

「ぱうろ」さんが天使というのは、そういう意味では「St. Paul」ということだろうか。高校1年生の時分にイギリスに派遣されて行ったとき、セント・ポール大聖堂を拝した。その印象がうっすらと脳に残っていたのかもしれない——というわけではないだろうな、どうせ。俺のことだから。

 

 

これで今回の世界最強の夢日記は終わりだ。人生は続いていく。僕は夢の世界ではだいたい誰かに責められていたり、孤独にさいなまれていたり、天使に怒られたりしている。要するに僕は、ネガティブな人間なのだと思う。

 

だが、それと同じくらい前向きだ。

それが、世界最強たるゆえんなのだ。

灰色アライアンス(または、「クジラの化石」)

 

先に言っておくが、ここで「正しさ」の定義をしたいわけではない。

ただ、理知的精神性と呼ばれうる集合知をある種の常識として認知した時点を前提として、しかしそれでもなお思考体系として正しいということが、思想の倫理として正しいということには、まずなりえない。まして正しい思想が正しい道行を示すとは限らない。逆に低劣な価値の反芻が悪徳をもたらすとも限らないだろう。

かくも人生とは意味のなく、まとまりのない、なにか混沌として理論的にまとめ上げることの不可能な物事で満ちている。

 

何が正しいかを規定したいわけではなく、それが、正しさとは、という意味だが、それがいかなる形態を持つものだとして、正しさの到達点が自己の満足や幸福であることはない。

それゆえに、自己内省的哲学の窮極が常に人を「幸福」に導くわけではなく、それはショーペンハウアーの内省的孤独を見れば明らかであり(あるいは彼は反転的な真の幸福に殉じたのであり)、そういった「幸福な孤独」の中でシーモアは拳銃自殺を果たした。それは真に正しく、正しさとしての窮極であり、そして、そのために必要なものは自己内省であり、内省による改訂であり、改訂による自己の棄却だ。

つまり、それが我々にとっての唯一の道だと知っていても、我々はそこに進むことができないでいる。捨てることのできないものが、我々を作っているからだ。

 

我々は——僕たちは、捨てることのできないもので自らを定義している。秋の雲。吹き付ける皮膚を裂く風。クジラの化石。

 

だからこそ、僕たちは時の果てまで愚かだ。そのことを噛み締めるのは、いつの年も決まって、ウヰスキーを遣った帰り、秋風に身震いをする時だ。灰色の空に、僕たちは何もないことを知って、涙を流すこともなく、ただ歌う。

そんなセンチメンタルは、いつも秋にやってくる。

 

灰色アライアンス(または、「クジラの化石」)

 

日射量の減少が体内でのビタミンDの生成量を減退させ、ビタミンDの欠乏と相関して人はマイナスの考え、ネガティブな思考、いわゆる鬱の状態を招く。ゆえに地球全体として北方の地ほど(総日射量も日照時間も少ないために)躁鬱病などの精神疾患の発病率が通常高いとされる。

というのは、科学の話である。少なくとも僕はどう考えても「科学側の人間」なので(そしてたぶん、どちらかといえば、そばに立っているだけではなく、完全に身をもって科学を代表しなければならない、あるいは、そのくらいの自負を持たなければならない立場の人間なので)、このようなことは理解している。

そこで、ビタミンDサプリメントを飲み、さらにナイアシンを適量飲むことでL-トリプトファンの持つ抗うつ作用をさらに高めようとするわけだが、そうすれば幾分かこのようなセンチメンタルな心の波というものが抑え込める。なるほど科学は素晴らしい。

 

しかし、科学の話の正しさと、それを乗りこなす僕の正しさが、僕の精神に高揚をもたらすというわけではない。

ここで言いたいのはそういう話だ。

ある意味で科学の話の正しさなどではなく、何か乗りこなせないものに滅茶苦茶にされて、初めて得られる満足というものもあるということが、僕の心身にとっては著しく不健康で、また、そのために僕を僕たらしめるある種の魔術的作用となって降りかかる。そういうことは何も不思議なことでもなければ、特殊なことではない。

僕にとってのそれは「ウヰスキー」や「ウオトカ」という具象を伴って在る。

 

ウヰスキーやウオトカを遣るときというのは、決まって、もうどうにも参ってしまっていて、何事をするにも馬力が足りないというような、そういうやるせない時だ。そしてそういう時はおおよそ秋や冬にしかやってこないことは、先述の通り明らかだろう。僕は熱い夏の日にウヰスキーを遣ろうとは思わない。そういう熱に浮かされた日というのは、水が2リットルほど入ったペットボトルを持って、河川敷まで出ていくのがちょうどよいというもので、極めて科学的に物事をクリアにすることができる。

「肌寒い」という概念は、ただその存在の知覚のみをもってして、世界の表層を覆うルールを科学やリアリティではなく、魔術やナラティブでもって書き換えんと、僕たちの世界を侵略するのだ。

キャプテン・ハーロックは、「そういう時は、酒でも飲んでひっくり返って寝ていればいい」と言っていたが、まさにその通りだろう。究極的には、ひっくり返って寝てさえいれば春が来る。春が来ればまた、この地上は遍く果ての果てに至るまでが科学の表層で置き換わり、新緑の芽吹きと鳥の囀りがサイエンスと数学的世界の勝利の勝鬨avatarとなって輝きを放ちながら僕の鼻腔を刺激する。

 

だが、愚かなことだが、この魔術の世界を味わってみようという試みもまた、僕がこの魔術界に囚われて(魔法にかけられて)いるために、半ば強制的、あるいは隷属的(自縄自縛の意味で)に、従前よりの属性として僕の心臓の近傍に横たわり続けている。そのような幻想が真実味を帯びる、テクスチャとして自我の内面に顕在化する表現的実在性の愚かさこそがまた、魔術と言うべきほかにないものなのである。

 

ならば。

仕方ない、今日、僕は灰色の空に向けて歩き出してみることにしよう。「空を飛ぶ」ことはさほど難しいことではない。

それは観念の問題なのだ……。

 

気分の高揚するものというのは、いつも「色」を持っている。色がなければ気分というものを高めるのは難しい。それはやはり、「色」というものはそのものの内包するある種のパワーの波長を示すためだ。(私は今や魔術の世界の住人であるので、光学波の吸収スペクトルについての全ての知識を失っているのである)

茶よりは赤、赤よりは緑。ある意味では緑と青が最強のパワーを持っていて、灰色になるほどに生命エネルギーが失われる。そういう「感じ」というのは別に何かお勉強などしなくとも「自然に」人間が「自然から」感じるものであってみれば、人は豊かな森林を求めて南下するということが理解できる。

緑がなければ人間は生きることができない、それは生命のエネルギーが枯渇するためだ。

 

そう思うと、コンクリートは灰色である。

人が科学というペテンによって生み出せるものはことごとくが生命エネルギーを持ち得ない、無意味なストラクチャにすぎないのだから、コレは仕方のないことだし、それは生命のないために他者から生命を吸い上げるのだ。コンクリートの中に閉じ込められる人というのは、砂漠に水を撒くがごとく、である。

だからコンクリートと鈍色の空の中で暮らす人は、もうほとんどその地と空に自身の命の力を吸い上げられてしまっている。だから彼らは肩を落とし、ため息をつきながら歩くではないか。

 

そうすると、鉄や何やらが走り回るコンクリートの森の中に生きる人というものの生涯はずいぶんと虚しいものである、それは電池のようなものだからだ。コンクリートの森、いや、山、あるいは、それはひとつの世界と言ってもいい。灰色の世界を動かすために、僕たちはみなただの電池として生きている。

みるがいい、夥しい数の鉄の箱がレールの上を走り回っているが、あのような膨大なエネルギーは、もう説明するまでもあるまい、すなわちそこに乗り合う人々から巻き上げられた生命のエネルギーなのだ。

 

このように、東京という街は(別に東京でなくても構わないのだが、一番有名な町の名前を書いておこうというユーモアがある)、僕たちの命を吸い上げながら動いているのである。僕たち私たちはそこで電池として消費され、使えなくなれば捨てられるか、再び電力を蓄えるために充電をさせられるのだ。

それは、僕たちのために街があるのではなく、街のために僕たちがあると言うことである。

 

それが誰の陰謀によるものかわからない。暗黒メガコーポがあって、我々はサイバーパンクの反撃をするべきなのだろうか?巨大資本家が我々を虐げる根源悪なのだろうか?

しかし、よくよく考えれば、彼らも初めは電池として生を受けたはずである。彼らは、ある意味では街の管理者かもしれないが、街の管理者という名の電池であるだけのことで、その電池は交換可能だ……。「彼らでなくても別に構わない」。

一体誰が悪いのか、誰を倒せば良いのか。おそらくはひとつの答えとして、「物質世界」という悪魔がそこにいるだろう。いるだろうが、それを倒すのはどうも無理そうに見える。僕たちは物語の主人公ではない。

 

それゆえ、僕たちは。

時に緑の中に逃げ込むというような賢き選択をしなければ、体がバラバラに砕け散ることを知っているので、緑やなにかを守りたいと思うものなのだ。思わない者は、脳の中までも電池になってしまっていて、単純な電気的刺激でしか快を得られないようになっているのだろう。

 

さて、

というように、だ。

(頭をゆさぶって、目を覚ます時だ)

 

上に言ったようなことは、全て、「寒い季節」にだけある種の現実味を帯びる「与太話」だ。

だが、そうであるからこそある意味では真実である。要は、これはテクスチャの問題であって、簡単に言ってしまえば、それは前提条件の差分の問題に過ぎない。

「世界はどう見られるかで決まるものである」と言うべきだろうか?いや、やはりここはソシュールに従って、言葉は世界を切り分ける(分節化する)道具である、と説明しておこう。

 

「緑」と言って、それが端的に物理学における光学波スペクトルのある特定のバンド帯を示すものなのではなく、なぜか「瑞々しい植物」という実体を意味するのも、「灰色」と言って、やはりそれが同様に「ネガティブで鬱屈とした」という意味を持つのも、やはり我々がその言葉で世界をそのように切り分けているからに過ぎない。

「緑」が「緑」でしかないわけにはいかない。世界は広く、我々は常に前を向いていかなければならない。世界はあまりにも広く、我々の語彙は圧倒的に少ない。ならば、言葉の意味するところというのは、世界に対してある程度の広さを持っていなければならないではないか。緑は、植物であり、エネルギーであり、心暖かいものでなければならない。と、私の知性は「今まさにそのように分節化している」のだ。

 

今まさに、秋や冬に限って。

それがテクスチャであり、魔術であり、僕という人間の知性の内側にて実在する表現実在、ないし、純粋経験としての「秋が顕れた」に対応する経験である。

 

そうすると、結論としてはやはり、この世界は物語的な呪縛に覆われてしまっている。この夏に僕が感じたはずの、どこか乾いた、「ただ現実の石が転がる」とかいう出来事は、とっくに空想のお話に成り下がってしまった。

魔術は僕たちの脳を芯まで焼いて、もはや後戻りはできない……。

 

そう思うのも束の間、僕たちは酔い潰れて春まで寝ることになるのだ。

 

その繰り返しを、あと何度見ることだろう。

短期的な自己内省はいつも失敗に終わる。今日の日に気づいた世界の真理の全ては、それが「秋」という魔術界がもたらした世界の表層の変換にすぎないのであってみれば、僕たちは寄せては返す波の上を転がり、沖にも陸にも寄り付けないゴムボールのようでいて、つまりその思想の反復に何か意味を求めるのは無理そうである。

あるいは、自己の連続性を持たない凡人の僕たちに、省みるべき自己など初めからありはしないのか。そうであるならば、この躁鬱の波の中にたゆたう、センチメンタリズムの魔力にやられた「僕」という「自己」的テクスチャを、より高次の僕が棄却することは、やはり容易いことに思えるのだ。

 

それは、とても前向きになれる理由になるだろう。ウヰスキーなどをやらなくても春は来る。問題は、自己を矮小化して棄却することができるかどうかだ。

しかし僕たちは棄てることができないからこそ、僕たちである。この問答に果てはなく、故に僕たちは時の果てまで愚かなままだ。

 

堂々巡り、これもまた人生。

それこそが、クジラの化石。

 

クジラの化石(または、10年ぶりに知人の墓参りに行った話)

 

どこから話そうか。

13年前、知人が死んだ。

電車に乗るとき、100回に1回くらいはそのことを思い出す。

要するに僕は、馬鹿正直な人間なのだ。

 

 

クジラの化石

(または、10年ぶりに知人の墓参りに行った話)

 

高校生の時分、僕は日本で一番大きな湖の南東側を舐めるように走る電車に乗って通学していた。ちょうど円弧をかくように、南側に張り出した曲線で、田んぼだらけの道をくぐり抜けて、僕は石と鹿の城址の近くまで通ったのだ。最寄り駅がルートによって2つあるもので、ひとつ目のルートでは乗り換えがなく、かわりに歩くのばかりが長い、鬱陶しいルートだった。僕は高校2年生までそのルートを通った。2つ目は、最寄りが高校から歩いて5分。代わりに電車はなかなか来ないし、乗り換えもある。どちらにせよ、鬱陶しい道だった。

ただ、いずれにせよ、最初は(あるいは、帰り道という立場では最後には)日本で一番大きな湖の南東側を舐めるように走る電車に乗ることになった。帰り道には西日が田んぼに照り返すのだから、視線を上に向け、流れていく雲ばかりを見つめていた僕は、気象予報士でもないのに空と雲とに詳しくなった。

 

夏のおわりの夕焼け空には積乱雲が立ち昇り、複雑な凹凸に青紫色の陰影を刻み付けながら赤々と燃えていた。南東側の窓に目を向けると、すっかり群青に染まった空、灰鉄色の雲の隙間から、スモークの中のスポットライトのように道筋の立った光の帯が地上に差し込むのが見えた。

Kと——あまりに知人知人と言うのも何かおさまりが悪いから、ここは、Kということにしておこう——最後に会ったのも、そんな積乱雲の立つ日のことだった。

 

Kは快活なタイプで、どちらかというと僕とあまり接点のある人間ではなかった。生きていたら、今頃、友人たちとホームパーティを開くのだとか、年末年始は南の島に行くのだとか、そういうことをしている(だろう)人間だった。

僕は別に根が暗いというわけでもなかったのだが、——それがこの文章の正着でもなければ、このことに何ひとつとして自分を顕示したいわけでもないのだが―—、事実として、僕のように学ランのズボンの後ろのポケットにゲーテだのショーペンハウアーを差し込んでいるくせに、校則のひとつも守らないで勉強もしないで学校をさぼってばかりいる人間というのは、かなり奇怪な人材であるのは間違いなく、高校時代にあまりたくさんの友人がいたわけではなかったことは事実だ。

 

Kと僕の接点は、今でもよくわからない。よくわからないというのは、覚えていない、というのとは違う。最初に会ったときのことは覚えている。ただ、その時のKと僕の関係値とでもいうか、接点の形、状態としての人間関係が何をスタートとして始まったのか、僕にはついぞわからずじまいだった、ということだ。

そのことはこの話において特に重要な部分のように思う。僕が今日に至るまで、それをまるで理解していないということ、そのことを考えるほどに拘りを持っているということが。

実際に言葉にすればなんのことはない、友達の友達だとか、友達のコレのソレだとか、まあそんなことだ。そんなことを気にする必要がある。

 

つまり、僕はKと、最後まで、それほど仲が良い訳ではなかった。

だから、高校生の頃の僕の友達にも、Kの話はほとんどしたことがないと思う。Kは、僕にとってはそういう人間だ。Kが死んだというような話だけは、「僕の友人が死んでね」という具合に、したことはあるだろうが。

 

13年前、そういうKが死んだ。

電車に乗るとき、100回に1回くらいはそのことを思い出す。高校生の時分、僕は日本で一番大きな湖の南東側を舐めるように走る電車に乗って通学していた。それは鬱陶しい道のりだったが、僕は少なくとも帰り道に見る積乱雲と光の帯だけは好きだった。

そのことを含めて思い出す。

 

Kと最後に会ったのは、Kを含めた何人かと県庁所在地に買い物に行った時だ。僕の家のある駅と、京都との距離関係で言えば、京都の方が近い、そういう街に行った。

6人ほどで買い物に行ったはずだが、色々な都合が重なって(ここで言う都合とは本当になんと言うこともない、塾があるとか、アルバイトだとか、そんなことだ)、最後の方ではなぜか僕とKがふたりきりになった。

僕はKとあまり会話をしたことがなかった。学校も部活も違う僕たちには共有できることも別にないのだし、世間一般の常識話ができるような成熟した大人でもなかった。

 

帰り道、夕立ちに降られて雨宿りをした。ファミリーマートの軒下で、Kはアイスを買った。僕は小遣いが足りなくて、CDを買った帰りに買い食いするような余裕はなかった。

雨上がりに積乱雲に向けて立ち登る雲を見て、僕はティッシュペーパーで作った紙縒りのようだと思い、Kはまるで龍のようだと言った。

 

それで、蒸したアスファルトのむせ返るような油の匂いがして、僕たちは帰路についた。茜色の空にひろがったしみのような朱が積乱雲の表面にこびりついていたが、その内側にはどこまでも昏い紺碧を湛えていた。

 

その時、遠くの空で雷鳴が響いた。

 

KはLed ZeppelinのStairway to Heavenが好きだと言った。雲間から差す太陽光がそれだと、Kは言った。何のことはない、高校生と言うのは、恥ずかしいくらいにセンチメンタルな心持ちで生きていて、うらやましいくらいにロマンチストだ。僕は、QueenMade in Heavenの話をした。それは違う。Kは冷たく言った。僕にはそれが冗談とわかった。だから続けていった。本当はThe Rolling StonesのShine A Lightが好きなのだと。

僕もその意味で正しく高校生だった。僕はKにクジラの化石についての話をした。その話をするのは2度目だった。

 

本当に、くだらない思い出だが、そのことだけは妙に覚えている。

 

それからしばらくしてKは死んだ。

Kは、ここではないどこかへ行きたかったのだと、僕はそんなふうな言葉で、Kが死んだということを理解したことにした。

 

僕は何度か墓参りに行くことになった。もちろんKとそれほど親しかったわけではない僕は、友人たちに連れられて、しぶしぶ墓参りに顔を出した形だった。 墓に花を供えて線香をあげる、というのを、親の指南なしで自分たちだけでやったのはこの時が初めてだったように思う。

それから3年は、都合をつけては墓参りに行っていた。それは気心の知れた仲間と、ただ漠然と集まりたいだけだったのかもしれないが。

 

それから後には、もう墓参りにはいかなかった。みんな大学のサークルや、インターンや、就職活動や、そんなことが大変だったのだ。

 

僕もその頃には京都に住んでいてーー日々の忙しさにかまけて、Kのことなど思い返すことはなかった。

電車に100回乗って、1回くらいしか。

 

 

そんな日々を続けて気づけば、Kが死んで13年が経っていた。

 

お盆、新型コロナウイルス感染症の蔓延による緊急事態宣言下の日本。僕は何のことはなく帰省を試みた。両親の予防接種が済んでいたこと、というのが一番の理由だが、べつにそれでなくても僕は帰っていただろう。僕は仕事柄、他者との接触機会などほとんどない生活を送っているのだ。

 

新幹線を降りて在来線に乗った瞬間、鼻をつく、水辺をそのまま切り取って運んできたような湿った風の匂いに、僕はKを思い出した。つまりは、それが100回に1回だった。

右の窓から見える空は曇っていて、マーブル模様のように雲の切れ間の灰青が不規則に広がっている。切れ間は少なくって、「天国への階段」は見えそうにもない。前線が来ている。熱いだろうと覚悟してきたTシャツの下のインナーは汗を吸うこともなく、サンダルのつま先に乾いた触感を感じた。高く仰げば積乱雲に混じって巻雲がたなびいている。秋の気分だ。

 

電車の窓は感染症予防対策のためか上の方が少しだけ開けられていて、田んぼに吹き抜ける風が運ぶ、苦々しくもみずみずしい草の香りが僕の顔面に鋭く吹きつけた。

 

それで僕は、実家についたらその足で、車を転がしてどこかにいこうと思った。高校生の頃に通った道だとか、そういうものを通り抜けてみたくなったのだ。暮らしの中では意味がなく、ある意味で僕にしか意味のないものを見てみたくなったのだ。

僕風に言うと、「クジラの化石」を探そうと思ったのだ。

 

「クジラの化石」。

Kはそんな風に言っていた。初めは僕が言い出したことらしいのだが、そのことははっきり言ってあまり覚えていない。若気の至りにふけって、サリンジャーがどういうことを言おうとしていたとか、ディラックとは何者なのかとか、僕の好きなコエーリョの『アルケミスト』の完成度についての話をしようとしたときに、親鸞の言葉を引用していたようなところで、ふと、口からそんな言葉も滑り落ちたのだろう。

僕はとどのつまり、クジラの化石のようなものが好きなのだ、と。

 

他の全ては誰かの言葉だが、「クジラの化石」が僕のものだということをKは知っていた。僕の心から出てきた言葉は「クジラの化石」だけであって、他のものは全て借り物なのだから、「クジラの化石」を大切に生きなさいよ、と。

戯けながら言ったKに、僕の内面がどこまで理解できていたのかは知らないけれど、僕にだって分かりはしないことなのだから、それは今でも僕の中にある。

 

クジラの化石を探す。

 

そう思う。今でも。

それは思慮の深みを深海であったりプレート付加体の深い地層に見立てるなどすることもできて、そんな時に深く深く潜っていく自分をふと呼び止める道標のようなものだと思う。

他には何もない思索の深淵にぽつんと、スポットライトに当てられて、なんとも侘しいクジラの化石が、誰にも見つけられずにひとりぼっちで横たわっている。

 

僕は、有名な街に出かけて、さらにその街で一番有名でフォトジェニックな建造物を見たりするというよりもむしろ、そこら辺の道端に生えている苔を見て、何かを思うだとか、風の中に複雑な匂いの成分を感じ取って、それがたどってきた道を想うだとか、そういうことを大事にする人間なのだ。

僕はとどのつまりその程度の人間だし、その程度のことがいちばん心を慰めるのだ。その程度のことで、生きていけるチープな人間なのだ。

そう、クジラの化石はとても不思議なものだ、それは存在していなくても構わない。その全容を掴むことなど絶対にできない。それでいい。そこにこそ神秘がある。

Kには、どこまで分かっていたのか。

 

僕とKは、別にそんなに仲がよかったわけじゃない。それで、こんなふうに思い出せるのだろうか。

僕は、文字通り車に飛び込んで、慌てたようにスターターを押し込み、それとほぼ同時か直後にシートベルトを締め、フットブレーキを踏み込みながらシフトレバーに手をかけた。

 

30分ほど車を走らせて、高校のあたりまでやってくる。下道は空いていた。

 

思い出せるようなものをひととおり探した。車のタイヤは雨上がりのアスファルトを切り裂き、瞬く間に消えていくシュプールを刻む。

路肩に車を止めるたび、僕は窓を下ろして、蒸したアスファルトの匂いを吸い込んだ。

 

高校をサボってよく来ていたハンバーガー屋は、いまもそのまま残っていたが、子供のためのプレイエリアは全面閉鎖と書かれていた。

それは「ご時世」というもので、別段僕の関心をそそるものではなかったが、少なくとも「変化」を示唆するものではあった。少しセンチメンタルがすぎる気がする。僕は、もう少し前向きで、「あの頃より」ほんの少しは現実志向な人間のはずだ。

動機が「Kを思い出した」ということ、目的が「跡を辿る」ということなのだから、仕方のないことなのかもしれないが。

 

最寄り駅から高校までの長い一本道、車両通行帯もなく、歩道もない。そこを通る車は制限速度など守ってくれない。少なくとも僕以外は。傘をさして歩くのがつらかったのを思い出した。今日は雨上がりだ、霧雨が少し降ったくらいの。

蒸したアスファルトの臭いが鼻腔の裏をくすぐった。気分の良いものでは、ない。ひょっとすると、そのことが慰めになるくらいには、僕は参っていたのかもしれない。

 

Kと雨宿りしたコンビニはそのまま残っていた。高校時代によく使っていた駅は全面改修されていたが、もうひとつの「次によく使っていた駅」は古びたままでーーその横に立っている「何のために建てられたのかわからない建物」も、相変わらずそのままで朽ちていた。

何も変わらないまま、時間だけが経ったようだった。夕方に、僕は帰路についた。

 

また30分ほど無心で車を走らせると、踏切に突き当たった。この踏切を出て直進すれば、実家へと帰るのが容易い、そういうルートに乗る。そう言う踏切があった。踏切に侵入する車を手前で止める、完全に停止するまで。僕は馬鹿正直な人間だ。もう少し柔軟に生きられればと思う。

 

踏切の警音が鳴った。けたたましく。

そのことに気づいた時には、もう手遅れだった。眼前の踏切の遮断機が、僕と線路を隔てる壁となって、僕の目の前で真っ直ぐに降りる。僕は、また、線路から切り離された。また。

 

僕は、車に乗っていて、踏切の外にいて、踏切を切り取って閉ざそうという遮断機が、目の前の空を引き裂くのを、ただ、車のフロントガラス越しに見ていた。

 

カンカン、カンカン、

 

警音が鳴る。シフトレバーを持つ手は震えていたが、かろうじて、なんとか、めいっぱい前に倒すことができた。なんてことだ、こんなことは、なかった。あの日からなかったはずなのに。

 

警音が叫び続けている。

 

僕はーー、ハンドルに、自分の頭を押し付けた。レザーのハンドルカバーに、額がうっすらと沈み込む。踏切の音が鳴り続けている。ただ、ここを真っ直ぐ抜けるだけなんだ。それだけのことだ。それだけのことなのだ。こんなことは、全く問題ではないのだ。僕は、こんなことは問題にはしていない。早く過ぎ去ってくれ。

 

ハンドルを握る手は汗ばみ、目眩がして、僕は吐き気を催していることに気づいた。ただ、目を開けることができないで、僕は、肩で大きく息をしているのだから、そのまま細くすぼませた口から出すには多すぎる息を、エアノズルのような音を立てながら汚く吐き出し続けた。制御できず滴った唾液が、ホーンの真ん中を射抜いた。

踏切の音が、ゆっくりと、遠くで鳴っている。すぐ近くの踏切が、すごく遠くの空の雷鳴のように響いている。

 

カン、

カン、

カン、

 

僕は、すぼめた口を、とてつもない馬力でもって、神経の力を総動員して、やっとのことで大きく開くと、ゆっくりと、大きく息を吸って、ハンドルから、額を離した。やっとのことで。

突如、とてつもないスピードで、目の前を鉄の塊が横切った。空を切り裂いて、轟音をかきならし、四角い箱が眼前を通り過ぎて行った。瞬く間に。

 

僕は、眉を顰めてそれを見ていた。滝のような汗を、拭うことも無く。

そうして、遮断機が上がった。

 

思考回路はとっくにショートしていたが、肉体に染み付いた癖で運転動作が開始される。シフトレバーを引き戻して、ブレーキを離し、軌道敷に乗り上げる際に、アクセルを軽く踏み込んだ。

車体が踏切を一気に抜ける。

 

僕は左合図を出した。

ランダム再生の設定になっているカーステレオがおもむろに、Video Killed the Radio Starをかけはじめた。何をやっているのかは分かっている。ただ、それがなぜかがいつもわからない。頭の中に靄がかかっていて、振り払うことができない。

僕は、無心でアクセルを踏んだ。

 

 

やがて砂利の上をおぼつかない足取りで歩いて、目を上げると、Kの墓石と目があった。正確には、反射した自分を見ただけだった。

 

あの頃と寸分違わぬ、ツルツルに磨かれた御影の墓石だ。Kの名前はない。Kの父親の苗字が書かれている。これは僕にとってはKという人間についての目的が持たれた墓という構造物だが、僕以外の人にとってそうでないそれ以外の側面もある。そしてこれは、そうでない側面に向って参拝する人たちによっても磨かれた、そういう墓石だが、それが僕に対してもこうして反射の効果を発揮するというのは、何か不思議な気分がする。だがそれは不思議なことでない―—この世界はそうできている。

要するに、世の中は、僕たちがいつも願うほど単純にもできていないし、物語のように上手い話もないということだ。10年この構造物を忘れていた僕が、あの頃と寸分違わぬ姿で再会するために、3650日の時間があり、その間に僕の知らぬ無数の人々の営みがあったということだ。Kの墓は僕の心にあるものではない。ただの現実の御影石だ——。

夕暮れの空にツクツクボウシが鳴く。物悲しそうに、静かに。

墓地に生きている人間は僕しかいなかった。

 

花も線香も、お供物さえも持ってきてはいない。服も見窄らしいばかりのカジュアルルックだ。住職がこんなことにめくじらを立てるとは思わないが、少なくとも他の参拝客がいなくてよかった。何をしにきたのかと思われるところだ。

 

何をしにきたのか?

僕にもわからなかった。ただ、自分自身の心を落ち着ける必要があった。僕はまた、踏切で取り乱してしまうような人間の状態というものになってしまっているのだ。また。その状態というものはしばらく縁のなかったものだ。しかし、こうして現れた今となっては、それをどうにかコントロールしなければならないのだ。そんなことを、考えながら墓石を眺める。

 

だから、僕は自分を落ち着ける必要があった。踏切で汗をかいたくせに、墓で落ち着く、というのは、どうかしているとは思うけれど。だから、僕はここに一人で来た。当時の仲間は誰も呼んでいない。そもそも、1人しか連絡先を知らない。そんな奴らに声をかけたって、取り繕う言葉を考えるのが嫌になるだけだ。

 

僕はただ、ぼんやりと、ツクツクボウシの声を聞きながら墓石を見ていた。

パンツのポケットに左手の親指を引っ掛けて、なんとなく持ち上げた右手の人差し指と中指を擦り付けあった。その間に、カサカサという乾いた音が鳴ることはない。

 

そうか、僕はとうに禁煙したのだった。Kの墓に来るときは、いつも煙草を半分まで吸って、もう半分を供えていたのだっけ。パーラメント。Kが未成年ながら吸っていたのはその銘柄だった(故人の違法行為についてとやかく言う者がいるとは思わないが、とにかくこれは聞き流してほしい)。僕はNat Shermanが一番好きだと、Kに教えた(僕については責めてくれて構わない)。Kは、自分は好き嫌いをしないタイプだと笑った。

 

ツクツクボウシが一斉に鳴き止んだ。

あたりは開演前のコンサートホールのような静寂に包まれた。

 

「なんや、冗談通じひんやつやなあ」

 

Kの声が聞こえた気がして、しかし、僕の吐いた溜息一つだけが、コンダクターの身振りのように、乾いた音をたてた。

僕は踵を返した。

 

車に乗り込み、シートに深く腰掛けた。深くため息をつき、ゆっくりと、本当にゆっくりとシートベルトを締めてから、スターターを押し込んだ。

その時、遠くで踏切の音が鳴った。

 

僕は真っ直ぐに実家に帰った。

そうして、その日のことは誰にも言わなかった。

 

 

どう説明すればいいのか、ともかく、13年前、知人が死んだ。

僕にとって対して仲の良くない、1人の人間が死んだ。僕の中ではそのことが、本当に何か重要なことに思う。その知人のことはよく知らない。未知の部分があまりにも大きくて、それを補完しようとも思わない。

 

死んでしまえば疎遠になることも幻滅することも無い。だが、生きていたら幻滅していたのだろうし、疎遠になったのだろう。どうでもいい人間になったに違いない。僕はそういう薄情な人間だ。Kが僕にとって重要なのは、Kが死んだからだ。

——そんなことは、わかっている。だが、願わくば、そうでないことを望む。分岐した剪定事象の可能性を願うことが、何のためになるのかはわからないが。

 

電車に乗るとき、100回に1回くらいはそのことを思い出す。そうして自分が嫌になる。だけどこれでも良くなったほうだ。いずれこれが200回に1度になり、300回に一度になるのだろう。そのことを心から願う。

 

Kのお気に入りのLed ZeppelinナンバーがStairway to Heavenだというのはちょっと冗談にもならない話だが、ただ、それでも「出来すぎた話」と呼ぶは程遠い。現実はドラマではない、僕たちの生きている世界は、センチメンタルにもロマンチズムにも疎い、物質的な、ただの御影石の転がりのようなもので出来ている。

僕もまた、転がり続ける石っころだ。角はとれていく。均一な球体になる。それでいい。僕はもう二度と、こいつの墓には来ないだろう。

 

そんなわけで、この取り留めのない文章は終わりだ。

クジラの化石は、今でもそこかしこに転がっていて、そのことが、僕にとっては少し救いになっている。

要するに僕は、馬鹿正直な人間なのだ。

 

 

"May the good Lord shine a light on you."

 

 

(おわり)

『トップをねらえ2!』は何を失って、何を取り戻す僕たちのお話だったのだろうか。

  

トップをねらえ2!』を見たことのない人間なんていうのは、これを開くことはないと思いますが、一応言っておくと「観劇を前提とした記事」です。

 

しかし、『トップをねらえ2!』ほど僕が友人全員に素晴らしさを熱弁して、そしてそもそも「見てすらもらえない」作品もないので、ある意味この「ネタバレ」というものに満ち満ちた記事の存在そのものが「ああ、こいつがこれくらいの熱量を持ってるものなんだなあ」と思い返す一地点になればそれはそれでよいのではないかと思ったわけであります。

 

重ね重ね、僕は「ネタバレ」なるものが観劇の質を下げるとはこれっぽっちも思っていない(驚くべきことに、実は逆である、とまだ思っていて、これは多くの映画批評家神経科学の世界からも支持される仮説なのだが、まあそれは本論の趣旨ではないので、良いでしょう)わけであって、その観点に照らせば、これを先に読んでしまって「そう云う話をやるのか」と見ても良いかもしれません。

 

それと、これは僕の文章を初めて読む人がもしいれば、という話なんですが、僕は「作劇」というものが「作者の意図」を超えたところで「そういう意味を持つことはあるだろう」ということを一切否定しない人間です。

つまり、読む上でのテクストとしての作劇は、さまざまな読み方ができるものであろうということです。それらには筋の良し悪しはあっても「無い」ということは無かろうと思います。

 

本題に入ります。

2度目になりますが、そして最後ですが、これは「すでに作品を見たこと」を前提とした記事です。答え合わせだと思ってください。

 

さて、この記事における『トップ2!』の着眼点ですが、読評ですから、やはり「対比」です。

この作品のもつ幾層にも折り重なった対比構造を、僕は「畳み込み(コンボリュージョン)」とでも呼ぼうかと思います。

 

SFですから。

 

永遠と刹那の次元畳み込み(コンボリュージョン)

 

トップをねらえ!』では、地球と同じ時の流れから切り離されたノリコが、1万2千年という途方もない時を超えて辿り着いた「未来の地球」に、「オカエリナサλ」 (λは正しくは「イ」の反転)の言葉で迎えられます。

 

そうなると、当然、この物語の解釈としては、「永遠に同じ時を生きられないという呪いにかけられ時間の牢獄に囚われたノリコ」に対して、「1万2千年の時を超えた言葉」が届くということであってみれば、

 

1万と2先年間、片時も絶やさずにユングの「おかえりなさいの約束」が守られ続けたのだ、

 

「違う時の中を、同じ想いが生きたのだ」と、

 

そう考えるのが自然な結論であるわけです。

これは『トップ』の時点では、まさしくウラシマ効果を「エモ」なドラマに落とし込む、というところで、同時代の少女活劇と比較しても卓越したストーリーテリングだったわけですが、

 

そんな風に、見た人が「素敵なお話だねえ」とせっかくいい具合に感動しているところ、この『トップをねらえ2!』という作品は、少々冷めたような、というよりもアイロニックで意地悪な疑問を投げ掛けます

 

「人類なんていう弱くて情けない生き物が、1万2千年も、一人の少女への約束を覚えていられるわけがないのではないか?」

 

その答えは、「No, you cannot」ではじまります。とりあえず。

 

怠惰と諦念の畳み込み

事実、『2!』世界の人間は、だれひとりとしてノリコとカズミのことを覚えてはいませんでした。(まあそう意地悪に作ったから当然なんですが)バスターマシンと宇宙怪獣の戦いでさえ、その詳細は捻じ曲がって伝わり、1万年間の安寧にあぐらをかいていた人類は「本当の脅威」に立ち向かう牙をすら削がれてしまっていました。

 

「努力と根性で不可能を可能にした、嘘みたいな夢物語」がかつて「本当にあった」ことを忘れてしまった。


赤い天の川という揺り籠の中でぬくぬくと育った人類は、その揺り籠に自分達が守られていることも知らず、やがて「何もかも、宇宙すら自分の思い通りにできる」という思い上がりに至ります。トップレス能力は、少年期の願望、万能感が、増長したエゴが世界にまで侵食した姿。世界を思い通りに操り、やがて肥大化したエゴは変動重力源ーーほんものの宇宙怪獣ーーに姿を変える

 

(そのあたりは、『SSSS.DYNAZENON』の「怪獣」というのは、実は「そういうもの」だったわけであって、ガイナの血統ここにあり、という感じでした。)

 

弱く情けない肉体をふりしぼって、痛みに耐えて、戦って何かを得るということをよしとせず、厳しい戦いに身を置くことをせずーー「自分は特別な存在だから、何をやってもうまくいく」という妄想に取り憑かれて「努力と根性」を忘れた人類というのは、やがて醜く宇宙を貪り尽くす宇宙怪獣そのものなのだーー。


これはメタ的に捉えた時、現実世界・現代社会を流れる時代感において、若者の中に、ある種、社会に対する倦怠感や諦念感が広がったこととも、関連性は高いでしょう。

ゼロ年代のアニメとして作られた『トップ2!』の、もっともらしい位置付けでもあります。

 

既往の社会には望むものは何もなく、破壊を以ってしかその秩序の精神的回復は図れない。

その破壊は根底から祝福されており、その道行は無条件に肯定されなければならない。

さもなくば「社会から隔絶された夢世界での無限の繰り返し」を、私たちは望む。

 

望んできたわけであります。

 

自由を求め、本質を求め、現実ではない非現実の「日常」に若者は没頭する。そこには「仕事」も「授業」も「宿題」も「ゴミ出し」もない。しかし若者はどこまで行っても自分たちが唾棄する「大人」の庇護下にあるのだが、彼らはそのことを必死で忘却しようとするーー。たとえば、作中にそれを「出さない」などして。

 

これはとても必然性のあるストーリーラインです。「だから」、「大人」がろくすっぽ登場しないのです。

 

その世界に、かつて身を犠牲に「努力と根性」で世界を守った少女の物語など、存在しようがありません。そこには物語の引力というか動力というものが間違いなくあって、『トップ2!』の世界とは「ノリコ」が存在できない世界なのです。

 

それは、ある意味で「リアル=現実的」な(つまりメタフィクションを取り込んだ)物語性だと思うのです。つまりそれは「われわれは『トップをねらえ!』という努力と根性の物語を忘れ生きてきたのではないか」ということですから。

この、ある種の「イデオロギーの忘却」は、当時の若者文化の「社会の普遍性、無意味性、大人世界の無価値さ」と結びついて、ついには「叶いもしない夢を見続けることの無意味さ」という形で、作中ではじめ多くの登場人物に支持されます。

 

つまり、古臭い夢を捨てて、今だけにフォーカスして生きるべきだと。「あがり」を持つトップレスたち、その儚い一生。彼らは現実を見ることなく、「フラタニティ」という空虚な檻の中で、「スコア」を稼ぎます。一瞬の輝き、繰り返すだけのゲームに、彼らは延々と興じる。振り返ることもなく。

少年期が終われば、エゴの時代が終われば、後は残されたこのなんの意味もない世界で生きている価値などないのだと。

 

だから、彼らはトップレス能力がなくなることを恐れます。「大人になったらいいことなんてない」からです。

 

時の流れによる忘却と、人類の変化。この二つの要素こそが、一度、「ノリコの物語」を完全に殺したのです。そうです、ここは『トップをねらえ!』の続編にふさわしい世界では無い。

なので、そのタイトルは『トップをねらえ!2』ではない。

これは『トップをねらえ2!』という全く別の物語。

 

この「ノリコの存在できない物語」の構造が、4話で、そして6話で、2度叩き壊されることになるわけです。

 

ラルクは、ノノに言われて初めて気付きました。「友達を家に連れて行く」ことが「初めて」であることに。

 

 

脆弱な精神(ニンゲン)と、肉体を持つ生命の畳み込み

さて、人類の変化は、ある意味では嘆くべきことかもしれません。ただ、「人類による忘却」、それは罪と言えるでしょうか。

 

トップをねらえ!』を見ていた我々は、たしかに、1万2千年後の沖縄の空に、赤いふたつの光が瞬くのを知っています。
だが、ノリコたちを見送り、残された人類はどうでしょうか。銀河系中心いて座A'で起こされたバスターマシン3号の縮退連鎖、それにより生み出されたブラックホールの発生を地球が観測するのは2万5600年後です(銀河系中心と地球の光学距離は約2万5600光年ですので、この宇宙で最も速い信号伝達手段である光がこの事実を伝えるのに、そっくり2万5600年かかるわけです)。驚くべきことに、これはノリコとカズミが帰還する未来の時点からさらに1万2千年後の遥かな未来です。

 

つまり、地球は「ノリコとカズミの勝利」を見ることすらないのです。宇宙怪獣の大規模侵攻がないことを理由に、だから「たぶん作戦は成功したのだろう」と、ぼんやりと仮定することしかできないのです。

 

「日ごと星空を眺めても、流れ星はいつ来るかわからない」

 

『2!』の冒頭でラルクはこのように語りました。それはつまり、帰ってくるかもわからない、それがいつなのかさえ分からない「流れ星」こと「ノリコとカズミ」を、一体誰が待っていられるのか、ということでしょう。

 

「願いは叶わない」

 

ラルクはこのようにも続けます。悠久の時を待ち続けることは誰にもできません。人間はご飯を食べなければならない、仕事をしなければならない、人を愛さなければならない、そして、人間は死ななければならない。

1万2千年は、現代の米国の平均出産年齢26.4歳に照らして約454代に相当します。454代もの歴史にわたって「伝説」を脈々と語り継ぐには、人類は弱く、脆く、そして儚い。流れ星を待つことは不可能であり、ゆえに、その願いは叶わないーー。

 

けれども、ラルクはこう結びます。

「だけど、私の願いは必ず叶う。なぜならばーー」

 

なぜならば、それはラルクという1人の人間だけではなく、「ノノ」が待ち続けた流れ星だからです。

 

「生物としての人」と「祈りとしての人」の畳み込み

地球帝国宇宙軍太陽系直掩部隊直属第六世代型恒星間航行決戦兵器・バスターマシン七号。それは太陽系を守るために、人類の全盛期の技術の粋を尽くして作られた「人の形をした兵器」。

なぜ人の姿をして生み出されたのか、なぜ人の心を与えられて生み出されたのか。それを考えれば、七号が「太陽系絶対防衛システムの要」だったということの意味が朧げながら見えてきます。


七号が守ろうとしたのは、太陽系そのものではなく、ある種の物語としての「人間」という概念だったのではないでしょうか。

かつて、太陽系を守るために、「必ず帰る」と約束をして、たった2人で宇宙の中心で戦った少女(と、大人の女性。)がいました。人間は彼女たちを忘れてしまうかもしれない。でも、人の心を持ったバスターマシンなら。縮退炉とナノマシン技術によって無限の命を与えられた、科学で作られた天使ならば、その志を次世代に継ぐことができます。

 

七号は、1万2千年の時を超えて、人の心を伝えるために作られた、「ノリコの物語の語り手」だったのではないでしょうか。

 

ノノ(あえて、ここでもノノと書きましょう)と出会ったトップレスたちは変わっていきます。努力に対して「そういうのいらない」と吐き捨てていたラルクは、ノノの努力を見て笑みをこぼすようになります。「いい手際だ」と褒めたりもします。頑張ってるラルクを誇りに思うような顔も浮かべました。

あれは、意地悪に読めば、かたや憧れを押し付け、かたや都合のいい愛玩動物を得て姉を気取っていただけの、エゴとエゴの渦の只中にあった偽りの関係と読むこともできるわけですが、それでも確かに心を揺さぶるだけのものだったはずです(でなければ鶴の折り紙ーーあれは本当はヒバリですがーーに説明がつきません。)


一番変わったのはチコでしょうか。「トップレスには何も救えない。何の意味もない。どうせ叶わない願いなら、持たなくていい」チコはそう考えて生きてきました。異能の力を与えられ、人の数百倍の可能性を持つトップレスでも、「叶えたい夢に向かって進む努力」と、「それをあきらめない根性」がなければ何も叶わないーー。

 

ノノとの口論、ぶつりかりあい、その中で、チコは自分が何のために戦うのかを見出しました。バスターマシンはそれに応えます。90番機、キャトフヴァンディス。

バスターマシンは、何が一番大切なものなのかを知っているーー。

 

人類は、かつてバスターマシンに願いを託し、バスターマシンがその願いを人類に返したのです。
太陽系絶対防衛システムの集合構造物・ダイバスターが守ろうとしたのも、「地球」そのものだけではなくって、「かつて地球を守るために命をかけた少女たちの心」であったり「かつて悲しみを振り払って戦ったふつうの女の子の物語」だったのではないでしょうか。

 

それらは同じようでいて、全く違う。

ダイバスターは、ノノは、自らを犠牲に地球を守る「姿」をもって、人類に「ノリコの物語」を伝えたかったのです。地球を犠牲にすることは許されない。それはかつて「彼女たち」が守ろうとした星だから。けれど今の人類を見捨てることもしない。それはかつて「彼女たち」が守ろうとした命だから。

 

それは、「トップレス」ではなくなってしまった代わりに「ふつうの女の子」になったラルクの胸に届きました。「トップだった自分」を失い、七号へのコンプレックスから覚醒し、「星を動かす者」として最大級にまで増長することで「宇宙怪獣になる寸前にまで増長しきったエゴ(そう見えます。地球を、動かして敵にぶつけようというのですから)」を持つまでに至ったラルクを、叩き直すことができました。

 

(肥大化したエゴが自らの重みで地球を押しつぶすと書くと、なんだかとてもガンダム的ではありますが)


デブリとの衝突による衝撃で折れた歯を吐き出しながら(これは言うまでもなく、「成人」のメタファーです)、脊髄通路を通り、人工心臓を模して作られ「念じた通りに世界を動かせる」かりそめの操縦席から、「自らのか細い肉体を振り絞って動かさなければならない」真の操縦席へ。

「本物の心臓」を模して作られた縮退炉を取り込み、真の姿へと生まれ変わる。「ディスヌフ」とはフランス語で「19番」。バスターマシン19号の覚醒です。万能の力で世界を思うままに捻じ曲げる「星を動かすもの」から、ひとりでは何もできない「ふつうの女の子」へ。

 

それこそが人類の真の姿なのです。

そして、それは素晴らしいことなのです。

 

「なにやってんだ、ノノ!」

 

これは「感謝」の言葉です。

 

人の「祈り」を与えられた機械の天使は、

人の「肉体」をもつ「ふつうの女の子」と、

二つでひとつの「炎」となりました。

 

このシーンだけで、この作品の全てがわかる、そういう熱のこもったシーンですね。

 

戦いの後、ノノから伝えられたノノリリの物語を、ラルクは新たな語り手として伝えたことでしょう。凍結を解除されたヱルトリウムや、木星(人工惑星都市)から解析されたデータを元に、「かつてノリコに『おかえりなさい』という言葉を伝える約束があった」ことが伝わったのか?それは、わかりません。

 

しかし、いずれにせよ、「彼女たちが帰ってきた時のために、最高の出迎えを用意したい」、それをラルクは地球規模で叶えるために奔走します。10年間。たった10年の短い時間、それとも10年もの歳月、と取るべきでしょうか。ラルクはその日を待ち続けました。

 

「この夜をずっと待っていた。」

 

なぜならば、

 

「どうしても彼女に会って話したい。いつも笑っていた、あなたのことを。」

 

現実的に考えれば、ラルクの願いが叶う保証はありません。ノノリリ(ノリコ)が帰ってくるのはラルクの死後500年後かもしれません。1万年後かもしれません。もしかすると、ノノリリは1万2千年前に死んでしまったのかも。理屈で考えれば、どれほど薄い望みかは簡単にわかります。しかし、

 

「だけど、私の願いは必ず叶う」

 

ラルクには揺るぎない確信がありました。それは、「お互いの努力と根性で切り拓いた未来」が、無限の「不可能」を超越して、互いに繋がっている、とでもいうことでしょうか。

ノリコとカズミが輝かせた光は、時間も空間も超えて、ラルクへと繋がっている。

 

「違う時の流れの中を、同じ想いが生きている。一度は途切れたそれを、もういちど紡ぐために命をかけた女の子がいた。」

 

ラルクはそれを伝えたかった。

それこそが、ノノの特異点なのだから。

 

 

物語(あの子たちのフィクション)と物語(わたしたちのじんせい)の畳み込み

ラルクは、「ノリコの物語の語り部」であるノノから、たしかにノノの「心」、「バスターマシンの灯」を受けとりました。

ノノの言う「私の特異点」とは、ノノがただのロボットという枠組みを超えて「バスターマシンの灯」を伝え続けてきた、心の光そのものです。

「(誰かのかわりに)痛いことや苦しいことを(自分が引き受けることを)ありがたがる」ような、ばかみたいな、だけど美しい「人間の心」そのもの。それはたんなる「火」ですが、ラルクの胸に灯った「火」と、2つが合わされば「炎」になる。

 

「炎となったガンバスターは、無敵だ。」

 

だから、ラルクの願いは叶うのです。

「無敵」だから「必ず叶う」のです。全ての不可能を超越し、1万2千年の時を超えて、「ノリコの物語を守り続けたノノの物語」を、その心の灯火を、今度はノリコに返すために。

 

かつてノノが「ノリコの物語」を語ったように。今度はラルクが「あなた(ノノ)の人生の物語」を、ノリコに語るのです。そして「炎」は、もっと大きくなることでしょう。その炎は、その営みの輪を通して、私たちの命ある人生へと還元されてゆく。

 

すこし野暮ったいことを、あえて書くのならば、「ノリコの物語を守ったノノの物語を伝えるラルクの物語」を、私たちは目の当たりにするわけです。

 

「物語」。

 

それが、『トップをねらえ2!』の本当のテーマではないでしょうか。『トップをねらえ2!』とは、「物語についての物語」だったのだと思うのです。僕たちがかつてペシミストを気取った年の頃に失って、そして大人になって取り戻した「人生」という「物語」。

 

あなたの人生の物語

 

あなたとは、文字通り「あなた」のことでした。かくもインタラクティブな物語は、時代を超えて人に残り続けるものですね。

 

流れ星は、何万光年の彼方からでも、「信じてさえいれば」届くのです。

 

諦めてさえしまわなければ。

すべては必ず。

なぜならば、

 

 

 

 

(おわり)

帰ってくるなウルトラマン

  

幼少期の色々な物事は、とどのつまりウルトラマンのようなものだった。

ザリ釣り帰り、謎のビビッド・カラーの人面魚。僕の見たはずの、僕の心の正しい記憶。その全ては夢。

 

そういうものは光の巨人で、祈りの象徴で、願いの化身で、そしてそのままの大きさの虚構だ。

50メートルの大きさを思うとき、僕たちはみんなウルトラマンくらいの嘘を浮かべている。

だが、ウルトラマンは実在する。

 

 

帰ってくるなウルトラマン

(または、何故博士は心配することをやめてなすがままを愛するようになったのか)

〜副題: 俺たちのインターネットB面〜

 

 

子供の頃の夢は自由だ、青年の頃も同じくらい自由かもしれない。

大人になってからも同じくらい自由な人もいる。うらやましくは思うが、ぼくがそうなれるとは思わない。

しかし僕を見て自由さを羨むものもいて、このあたりはどうにも堂々巡りでしかない。

 

子供の頃の僕は医者になって世界中のガンを治すのだとか、医学博士になるとか、ガンの根治でノーベル医学賞を取るとか、世界を救うんだと、そんなことを思っていたが、そんなものにはどうやらなれそうにもない。

青年の頃は小説家や弁論家になるような気でいたと思う。僕のいくところ全て面白い議論が沸き起こり先鋭でエキセントリックな言葉の大波が押し寄せると本気で思っていた——今でもその心の片鱗は残っていて、躁の時などに出てくるが。

 

それが僕の逆鱗の一枚なのかもしれないが。

  

さて、

困ったことに、今僕は、そもそも医学の道に進んでいないし、全くもってくだらない、何の意味もない、誰の役にも立たない研究をして、そのことをしたためた論文を書いている。

そういう意味ではほんの少し文筆家だろうが、僕のしたためた英文というのは査読者にも英文校正者にもボコボコにたたかれて、ほとんど残らないというのが現実だ。

 

ああ、少なくとも博士にはなった。それはそうだ。だが医学ではない。そもそも僕は生物学を学んだことが人生で一度としてない。

13歳で祖父の死に直面した僕は「世界からガンを根絶する」というドラマチックな決意を胸に抱いた。そうして、それを抱いたのと全く別の「僕」がインターネットに没頭して時間を浪費した。さらにそれとも違う、また別の「僕」が物理学にうつつをぬかし、結局、受験の候補にひとつとして医学部を入れなかった。

 

そう、

大概の「ぼくたち普通のひとの人生」というのはそんなものだ。僕たちは凡で、それをよしとしている。物語は一本筋にはならない。

まるで複数の登場人物がいるかのように、取り止めのないオムニバスの断続的な連結であったり、不連続な物語性の連続した存在が僕たちだ。

 

人生の物語は絶対に綺麗にはならない。

 

好きだった人と結ばれるわけでもなく、

あるいはその人に裏切られたりもして、

自分が裏切ることもあるし、

言い訳のできない過失で人が離れていくし、

かと思ったら、

何の理由もないことで人が傍にやってきたり、

人が死んだとか、

挫折をするとか、

ありきたりな、どこにでもある、

そんな些細な絶望があって、

それと同じくらい些細な成功や幸せがある。

 

とにかく一番は、自分で自分の物語に水をさしていきてきた。

 

のが、僕たちだと思う。別に理由なんてない、ドラマなんてない、筋書きなんてない、そんなめちゃくちゃな、混沌とした様態。

いうなれば人生の平均化処理。

ガウス分布の平均の周りをうろうろしているボリュームゾーン。ポテンシャルはとっくに底値、励起エネルギーはどこからも貰えない。

 

 

あの日見た夢のーー、

あの「無限大な夢」の続きに、僕らは立っていない。僕らはウルトラマンにはならなかった。そもそも、バルタン星人も来なかったのだけれど、そのことにいじけているわけじゃない。

 

あの日、隣にいて欲しかった人も、もうここにはいない。あの日、見向きもしなかった人が近くにいる。

 

僕があの夏のはじまりに、竜の住処の向こうにたくさん置いてきた、愛しかったり哀しかったり、人が生きるとか死ぬとか言う気持ちは、僕の頭の中にしかない。

 

そのことがずいぶん、可笑しい。誰とも共有できない喪失を面白おかしく思う。そんなもの、本当はなかったんじゃないのかって。

 

ザリ釣り帰り、用水路を覗き込むと、ギトギトした油の薄膜のようなメタリックな虹彩を放つ、鮮やかなオレンジ色の、30センチはあろうかという人面魚が20匹はいて、ビチビチと跳ねながら、ーーそうだな、跳ねながら、歌を歌っていた。

 

「 きみは だれだい 鉄仮面」

 

そんなことが、僕の頭の中には記憶になって残っている。ありえないのだ、夢に決まっているのだ、それでも幼少期の断続的な思い出の中にシーンとして差し込まれている。

夢に決まっているのに、記憶として「そいつ」は今もいる。

 

ならば、

夢に決まっている光景が記憶になり得るのならば、記憶に決まっている光景も夢になり得る。すくなくとも、「あなた」にとっては。

 

僕の記憶の話は、どこまで夢だろうか。夢の話はどこまで記憶だろうか。「あなた」が好きに決めることだ。それに答えはない。

そんなことは、ほら、けっこう可笑しいだろう。

 

可笑しいと思えるくらいには歳を取った。

それくらいには大人になった。

 

今ここにいる僕は、あの頃の「夢見た自分の代わりに」ここにいるわけじゃない。僕は僕で、僕としてここにきた。

今僕の隣にいる人は、人々は、あの頃の愛した人たちの「代わり」にここにいるわけじゃない。その人たちはその人たちで、その姿でここにいる。

 

ウルトラマンは帰ってこない。

帰ってくるな。

それでもウルトラマンは実在する。

 

僕たちは今、僕たちで、僕たちの人生を生きている。僕は僕を生きている。あの頃の自分の見た憧れの代わりを生きているのではない。 

だから、「代わりではない」自分を責めも褒めもしたくはないのだ。「代わりではない」あなたを責めも褒めもしたくないのだ。

 

そんなことを考えながら、今日も2Lの水をプラティパスから飲みながら、このどうしようもない論文の続きを書くとしよう。

それは、まったくもってくだらなくて、「小さな論文」で、ノーベル賞を取るようなものでもなければ、ぜんぜん世界を救わない。

 

それは、たぶんあなたにとっても何も面白くないけれど、それが「あなたにとって何も面白くない」ということ自体は、僕にとっては十分に面白い。

 

それが、あなたがあなたであるということだし、僕であるということだと、そんなふうに思うのだ。

そのことが十分に面白ければ、人は生きていていいのだと思う。

 

僕を好きな僕がいて、僕を嫌いな僕もいて、

僕を嫌いな「あなた」や、僕を好きな「あなた」、

それが変化していくことも、

何も面白くなくて素晴らしい僕らの日々の営みだ。

 

その全ての中で、僕はビビッド・カラーのギトギトした人面魚の讃美歌を聴く。

 

 

うつつなき病の夢に見えくるはみな忘れたる吾がをさなごと

中村憲吉『歌集しがらみ』

 

 

 

(おわり)

 

俺たちのインターネット

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 


 

夏。照り付ける太陽。

朝の庭の水やりの飛沫のせいで蒸しあがったアスファルトは、食えもしないのに湯気を放ち、見上げる群青の空には入道雲が立ち昇っていた。

緑のプラスチックのかごを下げて、僕は、田畑を吹き抜ける風に乗って走った。

 

夏。20度に設定したエアコン。

パワフル送風設定の木管楽器のような音色が背筋を冷やす。京都議定書から11年が経っても、親のいない夏休みのリビングは南極気分だ。

カラフルな光の明滅するモニター、プツプツと歯切れの悪い音を立てるステレオスピーカー。高校の課題や講習を机の脇に放り出して、スライド式の木板を引きずり出して、隙間に埃のたまったキーボードを慣れた手つきで叩く。

 

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ニコニコ動画

 

僕たちは、あの日、インターネットにいた。

2008年。俺たちのインターネット。

 

俺たちのインターネット

 

デジタルネイティブ世代の僕たちにとって、インターネットは常に身近なものだったが、それは「ポケモン」や「デジモン」と同じ意味で、身近なものだった。つまり、「大人は知らない」世界だった。

 

2000年に細田守監督作品の『デジモンアドベンチャー 僕らのウォーゲーム!』を見た時から、僕たちにとってのネットとは、「大人の介入できない、僕たちだけの自由な非日常の舞台、異世界のようなもの」という感覚があった。 

 

まだテキストサイト時代の名残を強く残していた2000年代初頭から、インターネットは大きく変わっていった。中学校に上がる頃にはみんな「遊戯王」や「デュエルマスターズ」と同じきもちで「2ch(にちゃんねる)」にのめりこみ、AA(アスキーアート)やおもしろフラッシュ倉庫に夢中になった。

 

学校では、技術の時間にインターネットリテラシーについて学び始めたが、 今思うと全く何の教育効果もないものだった。

 

「インターネットなんてやってると脳が腐る。犯罪者になる。」

 

技術科目の教師から、僕が本当に与えられた言葉だ。

中学生男子にこんなものを与えてしまったら、もうおしまいだ。僕たちは「犯罪者になりたい」年頃だったのだから。 僕たちはインターネットはアングラで、悪いもので、大人が介入できない、ちょっと「やばくて」「ゾクゾクする」、危険と隣り合わせの世界だと信じて遊んだ。

 

そこに「現実感」はなかった、と思う。

「インターネット」は日常に寄り添って当たり前に在るものではなくて、意図して腰を据えて「やる」行為。そして「少し危険で、謎めいた、別次元の場所」のことだった。

 

親の目を盗んで、教師の目を盗んで、僕たちはインターネットに没頭した。

スポーツをやるやつも、勉強をやるやつも。

 

そんなことで、中学を卒業するとか、高校生になるとか、そういった頃には、「ニコニコ動画」が「インターネットをやっているやつら」の常識になった。

 

動画投稿サイトにアップロードされた動画をデバイスで見るというのは、今は当たり前の話だが、2005年にYoutubeが開設して、それが日本の中高生にツールとして流通したのは2006年ごろの話だったと記憶している(そして依然として2chテキストサイト、ブログがインターネット活動の中心だった)。

そもそも、日本の家庭の主力回線がISDN(アイエスディーエヌ、Integrated Services Digital Network、サービス総合ディジタル網)からADSL(エーディーエスエル、Asymmetric Digital Subscriber Line:非対称デジタル加入者線)に切り替わったのが2000年代前半の話である。

次第に動画を視聴するに耐えうる回線が家庭という家庭にいきわたり、皆がネット動画に夢中になっていった——Youtubeニコニコ動画の二足の草鞋、とでも言うのか。そういう生活が、たしかにそこにはあった。

 

動画。

これまでにインターネットから得られていた情報量とは文字通り桁が違う。フラッシュなどとは比べ物にならない、圧倒的な「情報の圧」が僕たちを襲った。 

 

「動画」という媒介を通じて「映像」「音楽」「ゲーム」「アニメ」といったコンセプトがインターネットに瞬く間にばらまかれた。あっという間にインターネットにはカルチャーの種がばらまかれ、——厳密には、もっと前からその種は蒔かれていた——それが芽吹くまで、幾ばくも無かった。

インターネット上に様々な文化やセンスが花開き、怒涛の勢いでサブカルチャーが形成された。その勢いはまるで花火大会のクライマックスのようだった。

花開いた大小さまざまなコンテンツ同士が、ジャンル同士が縦にも横にも繋がって、ひとつの「文化的原型:アーキタイプ」とでも言うものが形成された——その文化的アーキタイプは「ニコ厨」と呼ばれる——。

 

そして、2008年。

僕たちはインターネットにいた。

 

そこでは、別々に花開いた文化同士がつながったことで、制御不能なカオスの世界が生まれた。「空耳ミュージカル」を、「人類滅亡」を、「電子音声の歌」を、それら以外のジャンルの作品の中で見ることを通じて、僕たちの中には共通の「ミーム(meme: 文化的遺伝子)」が形成されていった。

そのミームを共有しているという連帯感が、また、僕たちをインターネットに強く引き付けた。僕たちは、現実より優れた、すさまじいスピードで文化の花開く世界で、同じミームを共有して生きている―—。

 

そんな風にして、アングラの泥濘の中から生み出された、闇の中から花開いた文化の光は僕たちの目には眩しすぎたが、相変わらず大人からしたら「これまでのインターネットとまったく同じもの」だった。

パソコンの箱の中から飛び出してくる液晶画面の明滅や、芸能人でもなんでもない「ただの素人」の下品な笑い声。電子音に乗せられた「ロボットの歌声」は、奇々怪々なものとして大人たちの目に映っただろう。

 

僕たちは、やはり、「日常とは切り離された」、箱の中の出来事に、目を輝かせていたのだ。そこは、ただひたすらに自由だった。少なくともそう感じていた。

「学校の先生」の与えてくる「宿題」などとは話が違う。リアリティの欠片もないその世界では、「電子の歌姫」が「希望」を歌っていた。

 

僕たちしか面白さを知り得ていない、「テレビに出ている人たちよりはるかに面白いひとたち」の会話に腹を抱えて笑い、僕たちしか才能を知り得ていない「テレビに出ている人たちよりはるかに歌の上手い人たち」の歌声を聴いて首を縦に振り、僕たちしか認めていない「ちょっとモラルに反する」話題に触れて盛り上がる。

それは、今思うとほとんどすべてがチープで——でも、そのとき本当だった思い。

 

寝る間を惜しんだ。

睡眠時間なんて、学校の授業時間を使えばいいだけだ。

夜な夜なパソコンに向かい、キーボードを叩く。

真っ暗闇にモニターの明かりとPCのインジケータランプだけがついていた。

 

そうして、それらに照らされた自分の背後に、

うつろな闇が、ぽっかりと口を広げて座っていた。

 

パソコンのスイッチを切ると、背中から、闇が僕たちを飲み込んだ。その闇は、——なんのことはない、自分自身の本当の姿、そのものだった。真っ暗な部屋に、勉強にだって真剣に取り組んではいない、部活にも真剣になれない、親のいう事だって何一つ聞かない、将来の夢も何もない空虚な自分が、たったひとりで、薄ら笑いを浮かべて座っていた。

ずっとインターネットに打ち込んでいた僕は、僕たちは、青春の大きな時間を「消費」することにかまけていた僕は、何者にもならなかった。そのことに、気づかされた。

 

僕たちは、

「ネットで動画を見ていても、将来には何も寄与しない」

こと、

「そんなことをして生活をしている大人はほとんどいない」 

こと、

「そして、僕たちは普通の人間なので、普通の大人にならなければならない」

ことに、気づかなければならなかった。

 

正直、はっきり言って「いけてない自分」が、そこにはいた。

だが、そんな自分を忘れ、あるいは肯定するための全ての道具がスイッチひとつで手に入る。パソコンのスイッチを入れ、キーボードを叩くだけでよかった。

——激流のようなコメントの中に、自分の居場所を信じた。

 

そうして日々をかわして生きていた僕たちに、当たり前に、そして突然、 

そんな日々の終わりがやってきた。強制的に突きつけられたのだ。

「受験」、あるいは「就職」という「現実」を。

 

そのことは、今思うと幸運なことだった、とも言える。

子供の見ている白昼夢は、大人の手で、半ば強制的に終わらせられる。それは正しいことなのかもしれない。 

 

僕たちのほとんどにとって「インターネット」は「現実」とは関係のない、空虚な妄想だった。ごく一部の人間は、その「空虚な妄想」に戦いを挑んで、その中から輝くものを生み出して、今もそれを糧に生活をしている。

しかしほとんど普通な、決意も努力の程度も、センスもチョイスも何もかも、当たり前に普通で、普通な人間の僕たちにとって、インターネットはしょせん、「虚構」にすぎなかった。

 

2010年、インターネットと僕たち。

 

僕たちは知った。

「俺たちのインターネット」は、現実に向き合えない僕たちの、ただの逃げ場所になってしまっていたんだと。

 

信じたものは 都合のいい妄想を 繰り返し映し出す鏡

 

初音ミクの消失 / cosMo@暴走P

 

受験勉強をして、大学生になって、就職をして、僕たちは——、

そんな、当たり前の日々に埋没して、

インターネットのカルチャーを追うこともできなくなって、

 

日々の忙しさにかまけて、僕たちは大人になった。 

 

 


  

 

夏。信号待ちの交差点、うだるような暑さ。

張り付いたワイシャツの隙間にウェットティッシュをねじ込んで、 僕は蜃気楼の向こう側をにらんだ。蒸れる足先の指が囚われた不快感をぬぐうおうと、親指と人差し指を懸命に動かすが、革靴がきしむ感覚を味わうだけだ。

 

ふとスマートフォンを取り出して、ウェブブラウザを立ち上げる。ウェブニュースに並ぶ文字も、検索エンジンから即座にサジェストされる動画サイトの投稿も、当たり前の現実に溶け込んだ。

僕たちが危惧したように、「大人はネットの動画などは見ない」というようなことでは、なかった―—が。

 

今のスマートフォンの中にあるのは、あの日みた「ありもしない夢幻の物語」ではない。それはそっくりそのまま現実と地続きで、SNSだって誰もがやっていて、Twitterで友人を見つけるなんてことは当たり前。あの頃あんなにインターネットに眉をひそめていた親でさえ今ではYoutubeに夢中だ。ネットの動画にしたって、現実にいる「当たり前にすごい人たち」が、当たり前にすごいことをしている。

僕たちと同じ世代を駆け抜けたネット文化の生き残りも活動していて、しかしそれはノスタルジーを喚起するだけのもので——「あの頃」のそのものではない。

 

電子の歌姫が駆け抜けた非日常の異世界は、「誰も知らないネバーランド」なんていうのは、もうどこにもなくて——

 

なんのことはない。

喪ったのではない。

僕たちは人間で、大人で、この世界にはひとつも奇跡が無いことを知っている。この世界にはポケモンがいないことを理解したときのように、僕たちは「俺たちのインターネット」がこの世界のどこにもないことを理解した。それだけのこと。

 

そんなものは、はじめからなかったのだ。

 

僕たちは、今日、夢見たものとは違う現実を生きている。

僕たちはそれを楽しんでいる。何の不満もない。今のインターネットは、これからも、時間をかけて、ただひたすらに便利で、本当の意味で自由で、本当に良いものになっていくだろう。

 

しかし、もうどこにもない、僕たちの心の中だけに広がる、電子の海の原風景。

牧歌的ではない、幻想的でもない、ただ粗雑で暴力的で、下品で低劣な、そんな僕たちの「もうありはしないふるさと」。

夜の闇に、背中に迫ってくる不安や孤独を慰めてくれる、妖しくて危険で、それでもただひたすらにやさしい、あの光の温かみ。

 

——ブログで何を書いているかだのなんだの。

——ニコニコ動画流星群がどうとか。

——すぎるの愚痴金だとか。

——アメーバピグで何をやったとか。

——Google Chromeのリリースだとか。

——Craving Explorer だとか。

青少年ネット規制法なんかが当たり前に可決されていて、 ワーキャー言ったりして。

 

 

それが、そんなくだらないことが「俺たちのインターネット」だ。

僕たちは同じ原風景を持っている。

だから、このただの現実の延長戦にすぎない本当のインターネットで出会っても、僕たちは友達になることができたのだろう。同じ原風景を持っているクリエイターが生み出す芸術に、感動できるのだろう。

 

それは「カルチャー」についての話だ。

2000年代後半のカルチャーというものが、明確に定義できるのだとすれば、

それは僕にとって、「俺たちのインターネット」にほかならない。

 

 

それでも、(For my life, )

日々は続く。(Still ahead, )

 

悲しいかな。 (Pity me.)

 

 

(おわり)

ゆめにっき(最新版・メチャ:オモロ)

 

おもしろい。

 

5/28

友達たちと旅行に行く夢を見た。行先は「地底大陸」。なぜならレムリアとアガルタは人類の恒久の夢だから。エビがよく似合う彼は終始自分の爪の端の方がシートのメッシュにひっかかることにイラついていて、どんどん狼に変身していった。人狼の変身条件が満月だというのは迷信だ。本当は、爪の端の方がシートのメッシュにひっかかると変身するのだ。最近忙しすぎて死にかけてる彼は、「俺はミイラ」と言いながら干からびていた。干からびればいいさ。水をかければ、いつかは元に戻るんだから。焦ることはない。生きていてさえくれれば。よく転んで足を痣だらけにしている彼女は、ビールをずっと飲んでニコニコしていた。君はニコニコしているのが一番いいよ。ところで僕は、みんなと違うボックス席にしか座れず、みんなの様子を遠目に見ながら知らないおじさんに説教をされていた。

 

この夢を見たのでゆめにっきをつけることにした。

 

5/29

生きるという事は基本的にはエントロピーを死に向けて増大させる行為である、と言いながら、しかし「人生の歴史」という情報量が一個体に集約されていく様はエントロピーの減少であり、それはつまり、情報の集約という熱力学第二法則に反する行為を繰り返すために人は死に向うということである、と、知らないジジイが言っていたので、そういう「観念で世界を捉える行為は好きではない」といって聞かせた。傍らの犬がずっと「いややわぁ…」という顔をしていた。物言わぬ犬は、「いややわぁ…」という顔をするしかない。

 

5/30

夢を忘れた。

 

5/31

「起動キー」を無くしてしまった。それは僕にとっては非常に重要なものだった。しかし僕は大学受験を受けなければならなかった。起動キーを取るべきか、大学受験を取るべきか。思い悩む僕は、ハイウェイを二輪で走っていた。そうだ。僕は風だ。風になるんだ。わかるか?僕にはわからない。「夢の続きを~」というサクラ大戦2のED曲が流れたので、僕は事故死した。起きた時、床に落ちていた。そうか。

 

6/1

植物になった。植物になったので、何も起きなかった。

 

植物には「思考」も「感情」もない。なぜかというに、それをアウトプットする手段がないからだ。というのは、半分正解で半分間違いである。植物は生命活動というアウトプットをしている。葉の色は変わるし、角度も変化する。(この文章は起きてすぐの思考を書いている。)だが、その生命活動の様態が、人間の思う「思考」や「感情」に見えないので、我々は彼らのアウトプットにそのような(こいつには感情があるというような)ラベルを貼らない。それだけの話である。全ての化学反応は外界にアウトプットを行う。それが、我々にどう見えるかしか、判断基準はない。イルカとアリに感情の有無の差異を見出す行為の、なんと愚かしいことか。僕の一番好きな動物はシャチ。

 

6/2

宝くじを10枚かって、10枚ともその場で破くおじさんがいた。そうか。僕はそのおじさんの知り合いでもなんでもなかったが、宝くじは買う事そのものが目的なのだということを、僕はもう一度学んだ。生きるというのは、そういうことだ。

 

6/3

天使の家にお土産をもっていくことになったが、大量のアザラシの大群にお土産をもっていかれてしまった。僕は悪態をついた。しかし、よくよく考えれば、アザラシの大群が僕のお土産をもっていったということは、それはそのまま、世界の秩序がそれを欲したということではないか。神には侮蔑ということがわからないと、僕は思っているし、愛が悲しいという事も神は知っている。すべて人間の声が、神聖なこの世界の理を乱すのだ。そう思ったので、というか、シーモアはそう言っていたので、僕はほほえんで天使に会った。天使はブチ切れて僕をフライパンで殴打した。天使は着替え中だったのだ。

 

そういうことで、生きていこうと思います。