そんなことはアルマジロ

そんなこともアロワナ

ゆめにっき(最新版・メチャ:オモロ)

 

おもしろい。

 

5/28

友達たちと旅行に行く夢を見た。行先は「地底大陸」。なぜならレムリアとアガルタは人類の恒久の夢だから。エビがよく似合う彼は終始自分の爪の端の方がシートのメッシュにひっかかることにイラついていて、どんどん狼に変身していった。人狼の変身条件が満月だというのは迷信だ。本当は、爪の端の方がシートのメッシュにひっかかると変身するのだ。最近忙しすぎて死にかけてる彼は、「俺はミイラ」と言いながら干からびていた。干からびればいいさ。水をかければ、いつかは元に戻るんだから。焦ることはない。生きていてさえくれれば。よく転んで足を痣だらけにしている彼女は、ビールをずっと飲んでニコニコしていた。君はニコニコしているのが一番いいよ。ところで僕は、みんなと違うボックス席にしか座れず、みんなの様子を遠目に見ながら知らないおじさんに説教をされていた。

 

この夢を見たのでゆめにっきをつけることにした。

 

5/29

生きるという事は基本的にはエントロピーを死に向けて増大させる行為である、と言いながら、しかし「人生の歴史」という情報量が一個体に集約されていく様はエントロピーの減少であり、それはつまり、情報の集約という熱力学第二法則に反する行為を繰り返すために人は死に向うということである、と、知らないジジイが言っていたので、そういう「観念で世界を捉える行為は好きではない」といって聞かせた。傍らの犬がずっと「いややわぁ…」という顔をしていた。物言わぬ犬は、「いややわぁ…」という顔をするしかない。

 

5/30

夢を忘れた。

 

5/31

「起動キー」を無くしてしまった。それは僕にとっては非常に重要なものだった。しかし僕は大学受験を受けなければならなかった。起動キーを取るべきか、大学受験を取るべきか。思い悩む僕は、ハイウェイを二輪で走っていた。そうだ。僕は風だ。風になるんだ。わかるか?僕にはわからない。「夢の続きを~」というサクラ大戦2のED曲が流れたので、僕は事故死した。起きた時、床に落ちていた。そうか。

 

6/1

植物になった。植物になったので、何も起きなかった。

 

植物には「思考」も「感情」もない。なぜかというに、それをアウトプットする手段がないからだ。というのは、半分正解で半分間違いである。植物は生命活動というアウトプットをしている。葉の色は変わるし、角度も変化する。(この文章は起きてすぐの思考を書いている。)だが、その生命活動の様態が、人間の思う「思考」や「感情」に見えないので、我々は彼らのアウトプットにそのような(こいつには感情があるというような)ラベルを貼らない。それだけの話である。全ての化学反応は外界にアウトプットを行う。それが、我々にどう見えるかしか、判断基準はない。イルカとアリに感情の有無の差異を見出す行為の、なんと愚かしいことか。僕の一番好きな動物はシャチ。

 

6/2

宝くじを10枚かって、10枚ともその場で破くおじさんがいた。そうか。僕はそのおじさんの知り合いでもなんでもなかったが、宝くじは買う事そのものが目的なのだということを、僕はもう一度学んだ。生きるというのは、そういうことだ。

 

6/3

天使の家にお土産をもっていくことになったが、大量のアザラシの大群にお土産をもっていかれてしまった。僕は悪態をついた。しかし、よくよく考えれば、アザラシの大群が僕のお土産をもっていったということは、それはそのまま、世界の秩序がそれを欲したということではないか。神には侮蔑ということがわからないと、僕は思っているし、愛が悲しいという事も神は知っている。すべて人間の声が、神聖なこの世界の理を乱すのだ。そう思ったので、というか、シーモアはそう言っていたので、僕はほほえんで天使に会った。天使はブチ切れて僕をフライパンで殴打した。天使は着替え中だったのだ。

 

そういうことで、生きていこうと思います。