そんなことはアルマジロ

そんなこともアロワナ

世界最強の夢日記(2022/4/1~7)

 

僕が最強ということでよろしいだろうか。

 

というのも、たぶん夢日記の「強さ」を競っている団体は存在しないので、現時点で僕が一番強いということになる。面白さを競っている団体はあるかもしれないので、「面白い」とは言わないことにする。どんなことでもブルーオーシャンを見つけることが大事だ。

 

寝起きのぐちゃぐちゃの文章の体裁を整えるのに思いのほか時間がかかった。

ほぼ1年ぶりにつけたということもあって、タイトルなんかも後付けしてみる。

 

4/1 地球温暖化との戦い

 

地球温暖化と戦った。どうやら地球温暖化というのは特定の個人らしく、地球温暖化を倒せば地球温暖化がいなくなるのでオッケーということらしかった。夢の中の僕はどちらかと言えば正義の心を強く持っているタイプだったので、どちらかといえば悪らしい地球温暖化と決闘をすることになった。地球温暖化ビームを回避して、車ではねたら地球温暖化は死んでしまった。嫌な予感がした。果たして地球の温暖化作用が全て死んだので、地球は冷え始めた。地球が冷えるとみんなが死んでしまうので、僕は非難されることになった。僕はヒロイズムに酔ったテロリストだったのだ。地球温暖化を殺すのではなく、地球温暖化をなだめることが必要だった。僕は泣いた。

 

ちなみに、地球史においては、現在の地球は氷河時代(Ice age)である。厳密には氷期氷期の間、つまり間氷期に相当する。過去にはもっと温暖な時代もあった(恐竜などが生きていてわりと嬉しい時代だ)ので、温度が上がったって別に地球が滅びるというわけではない。地球温暖化の脅威とは、平均気温が上がることではなく、平均気温の上昇の「傾き」の方なのだ。上昇スピードの問題である。今日美容室で髪を切ってきて、次の日の朝に急にハゲたらかなり困るだろう。できれば80歳くらいまで時間をかけてゆっくりとハゲていきたい。

 

4/2 宇宙(そら)に残されたひと

 

なんやかんやあって、宇宙空間に放り出されることになった。なんやかんやの部分は本当に覚えていないので仕方ない。ただ、放り出される前に、僕を放り出す連中が半笑いだったのを覚えている。なんでこんなひどいことをするのに半笑いなんだろう、と僕は怒りを覚えた。せめて悪役らしく高笑いすべきだと思った。だが、そんな小さな怒りは徐々に巨大な不安に塗りつぶされていった。不安はすぐに絶望に代わった。僕は息絶える瞬間まで、たったひとりで暗黒の宇宙空間を漂うのだ。なんてことだ。これが僕の人生の最後とは。——しかし、僕には喫緊の課題があった。ウンコがしたかった。困ったことに。宇宙服を着ていたので、ウンコをすると当然宇宙服の中がウンコの匂いでいっぱいになる。人生最期の匂いがウンコなのは嫌だ。死ぬことがわかりきっているのに、ウンコのことで頭がいっぱいになった。こんなに惨めな最期はない。

 

皆さんの想像通り、目が覚めた僕は真っ先にパンツの中を確認した。断言しておくが、そこにはシルクのような肌触りの自慢のプリケツしかなかった。僕は「宇宙ウンコの恐怖」に勝ったのだ。僕は安堵のため息をついた。宇宙で死を待つ身だったのに、心配事がウンコのこととは。人間というものは、つくづく度し難い。

 

4/3 無し

 

夢を見なかった。あるいは、見たが忘れた、と言うのが正しい姿勢かもしれない。

 

今更だが、生物の脳というものは「夢で見たことの情報」を優先して忘れるという機能がうまいことできているらしい。そういうものがあるということは、基本的に夢というものは忘れたほうが生存に有利だということだろう。そういうことがわかっているので、夢日記をつける行為というのはあまりよくないのかもしれない。

しかし、たとえそれが生存のための認知機能などに何かしらの不利益を与えるものだとしても、年に1度や2度は夢日記をつけるということがあってもいいかもしれない。

 

一度きりの人生だし。

 

4/4 こういう疎外感が一番いや

 

たまには一人で居酒屋に行くのも悪くないか、と思い立ち、近所のパチンコ屋ぐらい大きい居酒屋に足を運んだ(そんな店は実在しない)。僕は「ビールが個室じゃないと嫌がるから」と言って、個室に案内してもらった。どうも隣の個室がうるさい。トイレに行くときに、隣の個室をちょいとのぞいてみた。すると隣の個室はコートダジュールの一番でかい部屋ぐらいのサイズ感があり、僕の地元の友達や昔の恋人などが集まって、みなでどんちゃん騒ぎをしていた。そのうちの一人、杉本というやつが僕に気づいた。杉本は小学生のころの一番の親友だったが、中学でだんだん疎遠になったやつだ。杉本は僕と再会を喜んだが、決して「お前もこっちに来いよ」とは言わなかった。「来るな」とかじゃなくて、「『来いよ』と言わない」感じが一番傷つく。そういうことを僕は思い出した。やがて注文した泥水が運ばれてきたので、僕は一気に飲み干した。甘かった。甘い飲み物は好きじゃないのに。最悪だ。僕はすすり泣いた。

 

4/5 でかい犬と子犬の大群 part 200

 

200回くらい見ている夢なのだが、ぼくはでかい犬と子犬の大群にめちゃくちゃにされた。「たすけて~~~~」と言いながらにやにやしていた。子犬のうちの一頭がオナラをした。臭かった。ほかに何も面白いことはなかった。でかい犬と子犬の大群以上に必要なものが、この世界にあるかね。

 

オナラとかウンコとか、いくつになっても好きだな、僕は。

 

4/6 水道管の悪夢 part 100

 

たぶん100回くらい見ている悪夢のうちのひとつなのだが、人ひとりがちょうど入れてしまうような太さの謎の水道管(水道管なのか?)の奥の方にあるネジか何かの具合が悪いというので、素潜りして中まで入っていかないといけないという夢だ。(もうひとつの悪夢は、母親に落とし穴に落とされて、そのまま誰も助けに来ないという夢なのだが、これは大人になったことで見なくなった。両親に対する恐怖や畏怖が薄れ、愛情だとか庇護欲だとかの方が上に来たからかもしれない。)で、人ひとりがちょうど入れる太さなので、つまりは中で方向転換をすることができない。U字に曲がった管を進んでいって、ちょうどU字の底、極点を通過するくらいのところで「あれ、これ戻れないじゃん」と気づく。そうしたら、もう終わりだ。息を止めていられる時間はそう長くない。僕は溺れて、宇宙空間と同じことになる。

 

とはいえ、今回はウンコを我慢するということはなかった。安心してほしい。

 

4/7 天使と逢う夢

 

天使と逢う類いの夢を良く見ている。僕の夢に登場する天使は、エンジェルリングもなければ翼も生えていない。僕の夢では、俳優の温水洋一が天使だったり、小学校の担任の先生が天使だったりする。で、僕はそういう天使の姿を見ると、「なんか、逆に『本物はそう』なんだろうな」と思ったりする。何の逆かはわからない。その日の天使は良く行くコンビニの店員の「ぱうろ」さんだった(店員の名札なのでひらがなで書かれているのだが、僕はそのひらがなで書かれた洋名というあやふやな感じがすごく好きなのだ)。天使「ぱうろ」は、僕に向かっていきなりキレた。それも、「汝、悔い改めよ」てな感じではなくて、「クラァァァ!!こんのクソガキァ!!」という感じだった。天使にそんな風にキレられてはこちらも体裁が悪いというか、仕事にも差し支える感じがあるということになっていたので、なんとか穏便に済まそうと思い、その時ぐうぜん持っていたクラフトボスを手渡した。「そういうことちゃうやろ!!!!」と怒られた。天使「ぱうろ」は関西人だった。僕は情けなくなって泣いた。

 

「ぱうろ」さんが天使というのは、そういう意味では「St. Paul」ということだろうか。高校1年生の時分にイギリスに派遣されて行ったとき、セント・ポール大聖堂を拝した。その印象がうっすらと脳に残っていたのかもしれない——というわけではないだろうな、どうせ。俺のことだから。

 

 

これで今回の世界最強の夢日記は終わりだ。人生は続いていく。僕は夢の世界ではだいたい誰かに責められていたり、孤独にさいなまれていたり、天使に怒られたりしている。要するに僕は、ネガティブな人間なのだと思う。

 

だが、それと同じくらい前向きだ。

それが、世界最強たるゆえんなのだ。