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クジラの化石(または、10年ぶりに知人の墓参りに行った話)

 

どこから話そうか。

13年前、知人が死んだ。

電車に乗るとき、100回に1回くらいはそのことを思い出す。

要するに僕は、馬鹿正直な人間なのだ。

 

 

クジラの化石

(または、10年ぶりに知人の墓参りに行った話)

 

高校生の時分、僕は日本で一番大きな湖の南東側を舐めるように走る電車に乗って通学していた。ちょうど円弧をかくように、南側に張り出した曲線で、田んぼだらけの道をくぐり抜けて、僕は石と鹿の城址の近くまで通ったのだ。最寄り駅がルートによって2つあるもので、ひとつ目のルートでは乗り換えがなく、かわりに歩くのばかりが長い、鬱陶しいルートだった。僕は高校2年生までそのルートを通った。2つ目は、最寄りが高校から歩いて5分。代わりに電車はなかなか来ないし、乗り換えもある。どちらにせよ、鬱陶しい道だった。

ただ、いずれにせよ、最初は(あるいは、帰り道という立場では最後には)日本で一番大きな湖の南東側を舐めるように走る電車に乗ることになった。帰り道には西日が田んぼに照り返すのだから、視線を上に向け、流れていく雲ばかりを見つめていた僕は、気象予報士でもないのに空と雲とに詳しくなった。

 

夏のおわりの夕焼け空には積乱雲が立ち昇り、複雑な凹凸に青紫色の陰影を刻み付けながら赤々と燃えていた。南東側の窓に目を向けると、すっかり群青に染まった空、灰鉄色の雲の隙間から、スモークの中のスポットライトのように道筋の立った光の帯が地上に差し込むのが見えた。

Kと——あまりに知人知人と言うのも何かおさまりが悪いから、ここは、Kということにしておこう——最後に会ったのも、そんな積乱雲の立つ日のことだった。

 

Kは快活なタイプで、どちらかというと僕とあまり接点のある人間ではなかった。生きていたら、今頃、友人たちとホームパーティを開くのだとか、年末年始は南の島に行くのだとか、そういうことをしている(だろう)人間だった。

僕は別に根が暗いというわけでもなかったのだが、——それがこの文章の正着でもなければ、このことに何ひとつとして自分を顕示したいわけでもないのだが―—、事実として、僕のように学ランのズボンの後ろのポケットにゲーテだのショーペンハウアーを差し込んでいるくせに、校則のひとつも守らないで勉強もしないで学校をさぼってばかりいる人間というのは、かなり奇怪な人材であるのは間違いなく、高校時代にあまりたくさんの友人がいたわけではなかったことは事実だ。

 

Kと僕の接点は、今でもよくわからない。よくわからないというのは、覚えていない、というのとは違う。最初に会ったときのことは覚えている。ただ、その時のKと僕の関係値とでもいうか、接点の形、状態としての人間関係が何をスタートとして始まったのか、僕にはついぞわからずじまいだった、ということだ。

そのことはこの話において特に重要な部分のように思う。僕が今日に至るまで、それをまるで理解していないということ、そのことを考えるほどに拘りを持っているということが。

実際に言葉にすればなんのことはない、友達の友達だとか、友達のコレのソレだとか、まあそんなことだ。そんなことを気にする必要がある。

 

つまり、僕はKと、最後まで、それほど仲が良い訳ではなかった。

だから、高校生の頃の僕の友達にも、Kの話はほとんどしたことがないと思う。Kは、僕にとってはそういう人間だ。Kが死んだというような話だけは、「僕の友人が死んでね」という具合に、したことはあるだろうが。

 

13年前、そういうKが死んだ。

電車に乗るとき、100回に1回くらいはそのことを思い出す。高校生の時分、僕は日本で一番大きな湖の南東側を舐めるように走る電車に乗って通学していた。それは鬱陶しい道のりだったが、僕は少なくとも帰り道に見る積乱雲と光の帯だけは好きだった。

そのことを含めて思い出す。

 

Kと最後に会ったのは、Kを含めた何人かと県庁所在地に買い物に行った時だ。僕の家のある駅と、京都との距離関係で言えば、京都の方が近い、そういう街に行った。

6人ほどで買い物に行ったはずだが、色々な都合が重なって(ここで言う都合とは本当になんと言うこともない、塾があるとか、アルバイトだとか、そんなことだ)、最後の方ではなぜか僕とKがふたりきりになった。

僕はKとあまり会話をしたことがなかった。学校も部活も違う僕たちには共有できることも別にないのだし、世間一般の常識話ができるような成熟した大人でもなかった。

 

帰り道、夕立ちに降られて雨宿りをした。ファミリーマートの軒下で、Kはアイスを買った。僕は小遣いが足りなくて、CDを買った帰りに買い食いするような余裕はなかった。

雨上がりに積乱雲に向けて立ち登る雲を見て、僕はティッシュペーパーで作った紙縒りのようだと思い、Kはまるで龍のようだと言った。

 

それで、蒸したアスファルトのむせ返るような油の匂いがして、僕たちは帰路についた。茜色の空にひろがったしみのような朱が積乱雲の表面にこびりついていたが、その内側にはどこまでも昏い紺碧を湛えていた。

 

その時、遠くの空で雷鳴が響いた。

 

KはLed ZeppelinのStairway to Heavenが好きだと言った。雲間から差す太陽光がそれだと、Kは言った。何のことはない、高校生と言うのは、恥ずかしいくらいにセンチメンタルな心持ちで生きていて、うらやましいくらいにロマンチストだ。僕は、QueenMade in Heavenの話をした。それは違う。Kは冷たく言った。僕にはそれが冗談とわかった。だから続けていった。本当はThe Rolling StonesのShine A Lightが好きなのだと。

僕もその意味で正しく高校生だった。僕はKにクジラの化石についての話をした。その話をするのは2度目だった。

 

本当に、くだらない思い出だが、そのことだけは妙に覚えている。

 

それからしばらくしてKは死んだ。

Kは、ここではないどこかへ行きたかったのだと、僕はそんなふうな言葉で、Kが死んだということを理解したことにした。

 

僕は何度か墓参りに行くことになった。もちろんKとそれほど親しかったわけではない僕は、友人たちに連れられて、しぶしぶ墓参りに顔を出した形だった。 墓に花を供えて線香をあげる、というのを、親の指南なしで自分たちだけでやったのはこの時が初めてだったように思う。

それから3年は、都合をつけては墓参りに行っていた。それは気心の知れた仲間と、ただ漠然と集まりたいだけだったのかもしれないが。

 

それから後には、もう墓参りにはいかなかった。みんな大学のサークルや、インターンや、就職活動や、そんなことが大変だったのだ。

 

僕もその頃には京都に住んでいてーー日々の忙しさにかまけて、Kのことなど思い返すことはなかった。

電車に100回乗って、1回くらいしか。

 

 

そんな日々を続けて気づけば、Kが死んで13年が経っていた。

 

お盆、新型コロナウイルス感染症の蔓延による緊急事態宣言下の日本。僕は何のことはなく帰省を試みた。両親の予防接種が済んでいたこと、というのが一番の理由だが、べつにそれでなくても僕は帰っていただろう。僕は仕事柄、他者との接触機会などほとんどない生活を送っているのだ。

 

新幹線を降りて在来線に乗った瞬間、鼻をつく、水辺をそのまま切り取って運んできたような湿った風の匂いに、僕はKを思い出した。つまりは、それが100回に1回だった。

右の窓から見える空は曇っていて、マーブル模様のように雲の切れ間の灰青が不規則に広がっている。切れ間は少なくって、「天国への階段」は見えそうにもない。前線が来ている。熱いだろうと覚悟してきたTシャツの下のインナーは汗を吸うこともなく、サンダルのつま先に乾いた触感を感じた。高く仰げば積乱雲に混じって巻雲がたなびいている。秋の気分だ。

 

電車の窓は感染症予防対策のためか上の方が少しだけ開けられていて、田んぼに吹き抜ける風が運ぶ、苦々しくもみずみずしい草の香りが僕の顔面に鋭く吹きつけた。

 

それで僕は、実家についたらその足で、車を転がしてどこかにいこうと思った。高校生の頃に通った道だとか、そういうものを通り抜けてみたくなったのだ。暮らしの中では意味がなく、ある意味で僕にしか意味のないものを見てみたくなったのだ。

僕風に言うと、「クジラの化石」を探そうと思ったのだ。

 

「クジラの化石」。

Kはそんな風に言っていた。初めは僕が言い出したことらしいのだが、そのことははっきり言ってあまり覚えていない。若気の至りにふけって、サリンジャーがどういうことを言おうとしていたとか、ディラックとは何者なのかとか、僕の好きなコエーリョの『アルケミスト』の完成度についての話をしようとしたときに、親鸞の言葉を引用していたようなところで、ふと、口からそんな言葉も滑り落ちたのだろう。

僕はとどのつまり、クジラの化石のようなものが好きなのだ、と。

 

他の全ては誰かの言葉だが、「クジラの化石」が僕のものだということをKは知っていた。僕の心から出てきた言葉は「クジラの化石」だけであって、他のものは全て借り物なのだから、「クジラの化石」を大切に生きなさいよ、と。

戯けながら言ったKに、僕の内面がどこまで理解できていたのかは知らないけれど、僕にだって分かりはしないことなのだから、それは今でも僕の中にある。

 

クジラの化石を探す。

 

そう思う。今でも。

それは思慮の深みを深海であったりプレート付加体の深い地層に見立てるなどすることもできて、そんな時に深く深く潜っていく自分をふと呼び止める道標のようなものだと思う。

他には何もない思索の深淵にぽつんと、スポットライトに当てられて、なんとも侘しいクジラの化石が、誰にも見つけられずにひとりぼっちで横たわっている。

 

僕は、有名な街に出かけて、さらにその街で一番有名でフォトジェニックな建造物を見たりするというよりもむしろ、そこら辺の道端に生えている苔を見て、何かを思うだとか、風の中に複雑な匂いの成分を感じ取って、それがたどってきた道を想うだとか、そういうことを大事にする人間なのだ。

僕はとどのつまりその程度の人間だし、その程度のことがいちばん心を慰めるのだ。その程度のことで、生きていけるチープな人間なのだ。

そう、クジラの化石はとても不思議なものだ、それは存在していなくても構わない。その全容を掴むことなど絶対にできない。それでいい。そこにこそ神秘がある。

Kには、どこまで分かっていたのか。

 

僕とKは、別にそんなに仲がよかったわけじゃない。それで、こんなふうに思い出せるのだろうか。

僕は、文字通り車に飛び込んで、慌てたようにスターターを押し込み、それとほぼ同時か直後にシートベルトを締め、フットブレーキを踏み込みながらシフトレバーに手をかけた。

 

30分ほど車を走らせて、高校のあたりまでやってくる。下道は空いていた。

 

思い出せるようなものをひととおり探した。車のタイヤは雨上がりのアスファルトを切り裂き、瞬く間に消えていくシュプールを刻む。

路肩に車を止めるたび、僕は窓を下ろして、蒸したアスファルトの匂いを吸い込んだ。

 

高校をサボってよく来ていたハンバーガー屋は、いまもそのまま残っていたが、子供のためのプレイエリアは全面閉鎖と書かれていた。

それは「ご時世」というもので、別段僕の関心をそそるものではなかったが、少なくとも「変化」を示唆するものではあった。少しセンチメンタルがすぎる気がする。僕は、もう少し前向きで、「あの頃より」ほんの少しは現実志向な人間のはずだ。

動機が「Kを思い出した」ということ、目的が「跡を辿る」ということなのだから、仕方のないことなのかもしれないが。

 

最寄り駅から高校までの長い一本道、車両通行帯もなく、歩道もない。そこを通る車は制限速度など守ってくれない。少なくとも僕以外は。傘をさして歩くのがつらかったのを思い出した。今日は雨上がりだ、霧雨が少し降ったくらいの。

蒸したアスファルトの臭いが鼻腔の裏をくすぐった。気分の良いものでは、ない。ひょっとすると、そのことが慰めになるくらいには、僕は参っていたのかもしれない。

 

Kと雨宿りしたコンビニはそのまま残っていた。高校時代によく使っていた駅は全面改修されていたが、もうひとつの「次によく使っていた駅」は古びたままでーーその横に立っている「何のために建てられたのかわからない建物」も、相変わらずそのままで朽ちていた。

何も変わらないまま、時間だけが経ったようだった。夕方に、僕は帰路についた。

 

また30分ほど無心で車を走らせると、踏切に突き当たった。この踏切を出て直進すれば、実家へと帰るのが容易い、そういうルートに乗る。そう言う踏切があった。踏切に侵入する車を手前で止める、完全に停止するまで。僕は馬鹿正直な人間だ。もう少し柔軟に生きられればと思う。

 

踏切の警音が鳴った。けたたましく。

そのことに気づいた時には、もう手遅れだった。眼前の踏切の遮断機が、僕と線路を隔てる壁となって、僕の目の前で真っ直ぐに降りる。僕は、また、線路から切り離された。また。

 

僕は、車に乗っていて、踏切の外にいて、踏切を切り取って閉ざそうという遮断機が、目の前の空を引き裂くのを、ただ、車のフロントガラス越しに見ていた。

 

カンカン、カンカン、

 

警音が鳴る。シフトレバーを持つ手は震えていたが、かろうじて、なんとか、めいっぱい前に倒すことができた。なんてことだ、こんなことは、なかった。あの日からなかったはずなのに。

 

警音が叫び続けている。

 

僕はーー、ハンドルに、自分の頭を押し付けた。レザーのハンドルカバーに、額がうっすらと沈み込む。踏切の音が鳴り続けている。ただ、ここを真っ直ぐ抜けるだけなんだ。それだけのことだ。それだけのことなのだ。こんなことは、全く問題ではないのだ。僕は、こんなことは問題にはしていない。早く過ぎ去ってくれ。

 

ハンドルを握る手は汗ばみ、目眩がして、僕は吐き気を催していることに気づいた。ただ、目を開けることができないで、僕は、肩で大きく息をしているのだから、そのまま細くすぼませた口から出すには多すぎる息を、エアノズルのような音を立てながら汚く吐き出し続けた。制御できず滴った唾液が、ホーンの真ん中を射抜いた。

踏切の音が、ゆっくりと、遠くで鳴っている。すぐ近くの踏切が、すごく遠くの空の雷鳴のように響いている。

 

カン、

カン、

カン、

 

僕は、すぼめた口を、とてつもない馬力でもって、神経の力を総動員して、やっとのことで大きく開くと、ゆっくりと、大きく息を吸って、ハンドルから、額を離した。やっとのことで。

突如、とてつもないスピードで、目の前を鉄の塊が横切った。空を切り裂いて、轟音をかきならし、四角い箱が眼前を通り過ぎて行った。瞬く間に。

 

僕は、眉を顰めてそれを見ていた。滝のような汗を、拭うことも無く。

そうして、遮断機が上がった。

 

思考回路はとっくにショートしていたが、肉体に染み付いた癖で運転動作が開始される。シフトレバーを引き戻して、ブレーキを離し、軌道敷に乗り上げる際に、アクセルを軽く踏み込んだ。

車体が踏切を一気に抜ける。

 

僕は左合図を出した。

ランダム再生の設定になっているカーステレオがおもむろに、Video Killed the Radio Starをかけはじめた。何をやっているのかは分かっている。ただ、それがなぜかがいつもわからない。頭の中に靄がかかっていて、振り払うことができない。

僕は、無心でアクセルを踏んだ。

 

 

やがて砂利の上をおぼつかない足取りで歩いて、目を上げると、Kの墓石と目があった。正確には、反射した自分を見ただけだった。

 

あの頃と寸分違わぬ、ツルツルに磨かれた御影の墓石だ。Kの名前はない。Kの父親の苗字が書かれている。これは僕にとってはKという人間についての目的が持たれた墓という構造物だが、僕以外の人にとってそうでないそれ以外の側面もある。そしてこれは、そうでない側面に向って参拝する人たちによっても磨かれた、そういう墓石だが、それが僕に対してもこうして反射の効果を発揮するというのは、何か不思議な気分がする。だがそれは不思議なことでない―—この世界はそうできている。

要するに、世の中は、僕たちがいつも願うほど単純にもできていないし、物語のように上手い話もないということだ。10年この構造物を忘れていた僕が、あの頃と寸分違わぬ姿で再会するために、3650日の時間があり、その間に僕の知らぬ無数の人々の営みがあったということだ。Kの墓は僕の心にあるものではない。ただの現実の御影石だ——。

夕暮れの空にツクツクボウシが鳴く。物悲しそうに、静かに。

墓地に生きている人間は僕しかいなかった。

 

花も線香も、お供物さえも持ってきてはいない。服も見窄らしいばかりのカジュアルルックだ。住職がこんなことにめくじらを立てるとは思わないが、少なくとも他の参拝客がいなくてよかった。何をしにきたのかと思われるところだ。

 

何をしにきたのか?

僕にもわからなかった。ただ、自分自身の心を落ち着ける必要があった。僕はまた、踏切で取り乱してしまうような人間の状態というものになってしまっているのだ。また。その状態というものはしばらく縁のなかったものだ。しかし、こうして現れた今となっては、それをどうにかコントロールしなければならないのだ。そんなことを、考えながら墓石を眺める。

 

だから、僕は自分を落ち着ける必要があった。踏切で汗をかいたくせに、墓で落ち着く、というのは、どうかしているとは思うけれど。だから、僕はここに一人で来た。当時の仲間は誰も呼んでいない。そもそも、1人しか連絡先を知らない。そんな奴らに声をかけたって、取り繕う言葉を考えるのが嫌になるだけだ。

 

僕はただ、ぼんやりと、ツクツクボウシの声を聞きながら墓石を見ていた。

パンツのポケットに左手の親指を引っ掛けて、なんとなく持ち上げた右手の人差し指と中指を擦り付けあった。その間に、カサカサという乾いた音が鳴ることはない。

 

そうか、僕はとうに禁煙したのだった。Kの墓に来るときは、いつも煙草を半分まで吸って、もう半分を供えていたのだっけ。パーラメント。Kが未成年ながら吸っていたのはその銘柄だった(故人の違法行為についてとやかく言う者がいるとは思わないが、とにかくこれは聞き流してほしい)。僕はNat Shermanが一番好きだと、Kに教えた(僕については責めてくれて構わない)。Kは、自分は好き嫌いをしないタイプだと笑った。

 

ツクツクボウシが一斉に鳴き止んだ。

あたりは開演前のコンサートホールのような静寂に包まれた。

 

「なんや、冗談通じひんやつやなあ」

 

Kの声が聞こえた気がして、しかし、僕の吐いた溜息一つだけが、コンダクターの身振りのように、乾いた音をたてた。

僕は踵を返した。

 

車に乗り込み、シートに深く腰掛けた。深くため息をつき、ゆっくりと、本当にゆっくりとシートベルトを締めてから、スターターを押し込んだ。

その時、遠くで踏切の音が鳴った。

 

僕は真っ直ぐに実家に帰った。

そうして、その日のことは誰にも言わなかった。

 

 

どう説明すればいいのか、ともかく、13年前、知人が死んだ。

僕にとって対して仲の良くない、1人の人間が死んだ。僕の中ではそのことが、本当に何か重要なことに思う。その知人のことはよく知らない。未知の部分があまりにも大きくて、それを補完しようとも思わない。

 

死んでしまえば疎遠になることも幻滅することも無い。だが、生きていたら幻滅していたのだろうし、疎遠になったのだろう。どうでもいい人間になったに違いない。僕はそういう薄情な人間だ。Kが僕にとって重要なのは、Kが死んだからだ。

——そんなことは、わかっている。だが、願わくば、そうでないことを望む。分岐した剪定事象の可能性を願うことが、何のためになるのかはわからないが。

 

電車に乗るとき、100回に1回くらいはそのことを思い出す。そうして自分が嫌になる。だけどこれでも良くなったほうだ。いずれこれが200回に1度になり、300回に一度になるのだろう。そのことを心から願う。

 

Kのお気に入りのLed ZeppelinナンバーがStairway to Heavenだというのはちょっと冗談にもならない話だが、ただ、それでも「出来すぎた話」と呼ぶは程遠い。現実はドラマではない、僕たちの生きている世界は、センチメンタルにもロマンチズムにも疎い、物質的な、ただの御影石の転がりのようなもので出来ている。

僕もまた、転がり続ける石っころだ。角はとれていく。均一な球体になる。それでいい。僕はもう二度と、こいつの墓には来ないだろう。

 

そんなわけで、この取り留めのない文章は終わりだ。

クジラの化石は、今でもそこかしこに転がっていて、そのことが、僕にとっては少し救いになっている。

要するに僕は、馬鹿正直な人間なのだ。

 

 

"May the good Lord shine a light on you."

 

 

(おわり)